ランダム化比較試験の登録に関するロンドン会議報告
Report on attendance at the conference on
“Registering information about randomised controlled trials”,
London, 1999
金子 善博(東京医科歯科大学大学院医学系研究科)
津谷喜一郎(東京医科歯科大学難治疾患研究所・情報
医学研究部門(臨床薬理学))
〔臨床評価(Clinical Evaluation ) 2000; 27(3): 491-501より。web版 ver.1.0 2000.6.6〕
はじめに
近年,コクラン共同計画によるシステマティックレビューや,他の研究者やグループによるメタアナリシスの進展などにともない,臨床試験の
登録と公開への関心が世界的に高まってきた.昨年1999年10月にはこのトピックに関連する3つの国際会議が開催された.
第1は,1999年10月4日(月)に,「ランダム化比較試験の登録に関する会議」
(Conference on “registering information about randomised controlled trials”)がBritish Medical Journal (BMJ publishing group),
The Lancet, The Association of the British Pharmaceutical Industry(ABPI:英国製薬工業協会)の共催でロンドンの
British Medical Association Houseで開催された.会議の目的は,ランダム化比較試験の登録に関する現状と問題点,将来への展望をさまざまな
視点から提示し,情報を共有することにあった.会議の直前10月2日にはthe Lancet 誌の編集長Richard HortonとBMJ の編集長
Richard Smithの共著による,現状を示した論説が両誌に掲載された(Lancet 1999;354:1138-9,BMJ 1999;319:865-6).
この会議には,欧州を中心に86名の参加者があった.
第2は,翌日10月5日(火)に,同じ場所で,「比較試験の登録への道と方法に関する会議」
(Conference on “ways and means of registering controlled trials”)がCurrent Controlled Trials社の主催により開催された.
第3は,10月6日(水)〜9日(土)に,ローマで開催されたコクラン共同計画の年1度の総会である第7回コクランコロキウム(7th Cochrane Colloquium)
の中である.最終日の9日(土)のセッション「商業的環境においてレビューの作成と伝達を改善する戦略をどう立てるか?」
(How to develop strategies to improve the production and dissemination of reviews in a commercial environment)でのpartT:「バイアスをどう
避けるか」(How to avoid bias)とpartU:「共同作業の可能性と問題」(Potential and problems in collaboration)において,関連するテーマで8人に
より報告がなされた.このうちの3人は先の10月4日のロンドン会議と同じ人物である.
ロンドンでの10月4日の会議の報告は,1999年12月11日のBMJ にAlison TonksによりRegistering clinical trialsとして掲載され
(BMJ 1999;319:1565-8),さらにCurrent Controlled Trials社のホームページ
(http://www.controlled-trials.com)には,10月4日と5日の会議それぞれの詳しい報告が
掲載された.
本稿は,10月4日のロンドン会議の報告を主とし,他の2つの会議の流れもふまえた上で,日本の現状と日本での今後のこの領域に関する
提言をも含むものである.
1. 会議の内容
全体のプログラムをTable 1に示す.会議は,午前2つ午後2つの4つのセクションに分けられ,
全部で13の報告があった.午前,午後の終わりにはそれぞれ討論がなされ,休憩時間にも演者,参加者を問わず活発な議論がなされた.以下に,
各講演の要旨を記す.
(1) 基調講演(Keynote Address). Professor Liam Donaldson, Chief Medical Officer, Department of Health, London
ランダム化比較試験は,研究と臨床の橋渡しとして位置付けられる.NHSは,臨床試験のスポンサーであるとともにその第一の利用者でもある.
臨床と研究の間の乖離はまだ広いが,NHS研究開発プログラムによって,EBMの実践を通じて臨床の質を向上させるために,コクラン共同計画
の作業を支援し,根拠に基づいたヘルスケアの標準化を進めている.
NHSの関係したすべての試験の登録であるNational Research Register(NRR)や,グラクソ・ウエルカム社とシェリング・ヘルスケア社による
製薬企業からの試験情報の公開がなされており,他の企業もこの動きに追随することが望ましい.このような試験情報へのアクセス性を
高めようとする最近の世界的な動きを歓迎する.
(2) なぜ試験を登録するのか?(Why register trails ?). Dr. Iain Chalmers, Director, UK Cochrane Centre, Oxford, UK
Dr. Chalmersはコクラン共同計画の立案者の1人であり,現在も精力的な活動をしている.臨床試験の登録の意義を,つぎのようにまとめた.
患者や臨床家にとっては,試験に関与あるいは参加することが可能となる.研究者や助成団体は,研究の重複を避け,複数施設の試験や
前向きのメタアナリシスなどの共同研究が誘導されるなど,研究上の決定に利用できる.
また,過去4年間でThe Cochrane Libraryに登録された比較試験の件数は急増し25万件にのぼったが,出版バイアスの問題,つまり試験の
結果が否定的(ネガティブ)であったり成績が良くなかったりした場合に出版されない傾向にあることから起こる,未発表の試験についての報告の
問題が浮かび上がってきた.この問題が臨床や新規の研究に誤った方向性をもたらす例がいくつかある.そのためにも,すべてのランダム化
比較試験の結果についてアクセスできるようにすべきである.
最近では,Current Science Groupによるmeta Register of Controlled Trials
(mRCT, http://www.controlled-trials.com/)での比較試験の登録情報などが
進んでおり,すべてのランダム化比較試験が事前に登録されるべきだとする方向性は広く受け入れられてきている.
(3) 試験倫理委員会と患者の利益
(Research Ethics Committee and the Interests of patients). Mrs. Jennifer Blunt, Chair, NW Multi-Centre Research Ethics Committee,
NHS Executive, North West, UK
英国の試験倫理委員会(Research Ethics Committee:REC)は,独立した監視組織で,臨床研究に関わる患者の利益を守るために活動している.
助言を行い,研究のアウトカムについては関与しないが,ランダム化比較試験を含む臨床研究に登録される患者を,不必要な試験,間違った
情報や研究者や臨床家の欺瞞から守る門番として活動している.
この試験倫理委員会はNHSに属し,Multi-center Research Ethics Committee
(MREC, http://dialspace.dial.pipex.com/mrec/)とLocal Research Ethics Committee
(LREC)からなる.MRECは試験の科学的視点と全般的な倫理についてアドバイスを,LRECは試験が上手く進むように,実施機関・場所での運営が
適切になされることを目的としている.
現時点で,英国においては約3,000の比較試験に約50万人の患者もしくは健常ボランティアが参加しており,プロトコールのうちMRECを
通ったものに限っても3分の1がランダム化比較試験である.
臨床試験の登録に関する利点と問題点は以下の如くである.ランダム化比較試験の登録は研究者と患者の双方に利益をもたらす.他の
臨床試験の資金とプロトコールについての情報が提供されれば,RECにとって役に立つであろう.特にQOLに関する情報はRECでの審査に
大きく役に立つ.各試験の登録は情報全体の妥当性(validity)を確保する.しかし,プロトコールの査読,ファンドの確定,倫理的な審査の一連の
流れの中で,試験を登録する適切な時期を選ぶことは難しい.
(4) NHS全国研究登録(The NHS National Research Register), Professor Richard Lilford, NHS Trials Advisor, NHS Executive,
West Midlands, UK
NHS National Research Register (NRR, http://www.doh.gov.uk/research/nrr.htm)
は,NHSによって全額もしくは一部をファンドされた,進行中および最近終了した研究計画の登録データベースである.これは,自由にアクセスする
ことが可能で,年4回更新され,1999年10月現在5万件が登録されている.約2万件が進行中の研究で,そのうち約1,500のみがランダム化比較
試験である.NRRの目的は,必要のない試験の重複を避け,信頼性と,統計学的検出力の増加を提供し,出版バイアスを減らし,試験間の
コラボレーションを強化し,患者のリクルートを改善し,公的責任を果たすことにある.登録は,研究の公的助成が効果的であることについての
信頼性の確保につながる.
臨床試験の登録のその他の意義としては,多くの場合一カ国の臨床試験では症例数が少なく統計学的検出力は不十分であるが,試験登録を
参照することで,メタアナリシスが可能となり統計学的検出力が増加することが期待される.また,すべての試験が外部機関の助成を受けている
わけではなく,多数の小さな研究が日常臨床業務の中で行われている.こうした研究は質が高くない場合もあり,またランダム化されている
被験者の数が少ないこともあるが,これらの研究を同定することも重要である.
現在,NRRではデータベースの内容の質を高めるためにUK Cochrane Centerと協力して,登録情報を明確にし,重複を取り除く作業を行っている.
(5) 製薬企業とランダム化比較試験登録(The pharmaceutical industry and randomised controlled trial registers).
Dr. Trevor Gibbs, Director, International Medical Operations, Glaxo Wellcome, Middlesex, UK
グラクソ・ウエルカム社(http://ctr.glaxowellcome.co.uk)はインターネット上で臨床試験の情報の
公開を1998年10月より世界で最初に開始した企業である.EBM時代の到来とともに,医師の意思決定は大きな変化を遂げてきている.また,
消費者は,医薬品や臨床試験に対する関心を増加させ,質の高い情報を求めるようになった.そこでグラクソ・ウエルカム社では,自社で行っている
臨床試験の情報のインターネット上での公開をはじめた.公開することによって,商品の信用が増し,臨床上の使用での信頼性が向上するので
企業にとっても利点がある.ウェブ上で公開している臨床試験情報は,後期U相,第V相,第W相試験で終了したものである.
エビデンスに基づく医薬品の使用のために,より広範な情報がより早く求められるようになっている.それに応えるために,従来の紙媒体ではなく,
電子出版の形態が求められている.
(6) 医学研究協議会とランダム化比較試験登録(The Medical Research Council and randomised controlled trial registers ).
Professor George Radda, Chief Executive, Medical Research Council, London, UK
Medical Research Council (MRC, http://www.mrc.ac.uk/)は1930年代から助成機関として活動している.
現在,癌,心臓病,エイズなどを中心として144の臨床試験に年間1300万ポンド(約30億円)を出資している.半分は医薬品以外の試験である.
MRCは財政その他の責任を,NHS,臨床家,患者,研究者やほかの助成機関に対して持つ.したがって,ときには長期にわたる投資がなされる
多くの計画は,正しく行わなければならない.ランダム化比較試験の登録は,試験の必要性を確認するレビュー,進行中の試験のモニタリング,
研究結果を広める際にも役に立つであろう.公開することによって,研究者,他の資金提供者,臨床家や患者,保健サービスにとっての助けとなり,
質や経済的側面などの改善をもたらすだろう.MRCが助成した比較試験は全てMRC試験登録に記録されている.
(7) 医学研究助成とランダム化比較試験登録(Medical research charities and randomised controlled trial registers).
Professor Sir Leslie Turnberg, Scientific Advisor, Association of Medical Research Charities (AMRC), London, UK
医学研究助成機関協会(Association of Medical Research Charities:AMRC, http://www.amrc.org.uk/)
は医学研究助成を行っている107の民間の助成団体からなる協会である.全体として年間4億ポンド(約800億円)の寄付を集め,NHSによる
研究費助成に匹敵する.AMRCが助成機関として試験登録を求められた際の懸念は,登録にあたって何が求められるのか不明瞭なことである.
知的所有権や登録の時期も議論すべきであろう.研究に使う主旨で集めた寄付金であり,登録のための事務費がかさむことは,現在の目的とは
合致せず,将来的に何処まで費用が必要なのかも不明である.
(8) アメリカでの試験登録(Trial Registration in the United States), Dr. William Harlan, Associate Director for Disease Prevention,
NIH, Bethesda, USA, Dr. Alexa McCray, Director, Lister Hill National Center for Biomedical Communications, National Library of Medicine,
NIH, Bethesda, USA
アメリカでは近年,試験の登録,とくに癌のランダム化比較試験に対する情報への,消費者や医療関係者からの要求が増大し,これに対応して,
1997年のFDA近代化法により,臨床試験の情報のデータベース化が定められ,現在NLMがこの作業を行っている.癌やエイズその他の難病など
重篤な領域についての臨床試験が,政府,民間のものを問わず登録されることになった.
データベースの内容は,主として患者や消費者のための試験目的の説明,登録基準,試験を行っている施設,連絡先など.アクセスを容易に
するためにインターネットだけでなく,フリーダイヤルでの情報の提供も計画され,1999年の終わりにはプロトタイプが始まる予定である.
(2000年3月1日から実際のサービスがはじまった.http://clinicaltrials.gov)
(9) オーストラリアでの試験登録(Trial registration in Australia), Dr. Davina Ghersi, Research Fellow, NHMRC Clinical Trials Centre, Sydney,
Australia
オーストラリアでの臨床試験の登録は,1989年にNational Health and Medical Research Council (NHMRC,
http://www.ctc.usyd.edu.au/)臨床試験センターで開始された.1995年にセンターは,癌領域での
臨床試験の前向き登録をNew South Wales Cancer Councilの支援により開始し,インターネットでアクセスできるようになっている.この過程で
多くの消費者グループが協力し,内容に関しても理解しやすいものが提供されている.
この経験から,包括的な臨床試験の登録に関する勧告が種々の組織から出されているのが現状である.
(10) 欧州での試験登録(Trial registration in Europe), Dr. Gerard Urrutia, Centro Cochrane Espanol, Barcelona, Spain
欧州,とくにスペインでの現状を説明する.スペインでは,臨床試験の登録についての法律は1978年に整備され1982年より開始されるなど,
ヨーロッパ内では早期の段階で取り組まれてきた.また倫理や方法についての記載など,登録すべき内容なども,徐々に改善されてきた.しかし,
そのデータベースは政府内のものであり誰もがアクセスできる状態にはなっていない.
他のヨーロッパ諸国における臨床試験の登録の現状として,各国の置かれている状況はまちまちでありその水準も限られたものである.
(11) 試験登録の国際的な共同作業(International collaboration in trial registration), Dr. Kay Dickersin, New England Cochrane Center,
Providence, Rhode Island, USA
臨床試験の登録の国際的協力の現状について説明する.過去にいくつもの試験の登録が行われてきたが,そのいずれもが包括的な
(comprehensive)デザインで行われてはいなかった.1980年代より試験の登録に包括的な仕組みが求められており,1993年にコクラン共同計画が
包括的な動きとして始まった.
各国政府の動きとしては,1993年のアメリカでのregister of woman's healthや1997年からのFDA近代化法以降の動き,1998年からのイギリスでの
NHS NRR,出版関係では1994年のCenterwatch(http://www.centerwatch.com/),1996年の
Current ScienceのCardiosource,1998年のmRCTがあげられる.
1992年から1998年までは100データベース以下であり,ほとんどが紙媒体で提供されているにすぎなかったが,現時点ではランダム化比較試験の
オンラインデータベースが500件以上あり,その数は急速に増大してきている.理由として,この5年間のインターネットの急速な普及と,消費者の
関心の高まりがあげられる.しかし公開されているデータベースは,使いやすいものではないことが問題である.
試験の登録について,世界的に進めていく必要はあるが,一元的な国際的な登録は必要でなく,また不可能であろう.その理由は消費者や
研究者,政府機関では関心や要求するものが異なり一つのデータベースでは要求を満たせないからである.さまざまな立場からデータベースを
作成することで,パッチワークのように情報は網羅されていき,その過程で,お互いのパートナーシップをとることによって,それぞれの目的を
満たすものができるであろう.
(12) 試験登録のいくつかの障害(Practical and other barriers to trial registration),
Dr. Hamish A Cameron, Cardiovascular Therapy Area Director, AstraZeneca, Gothenburg, Sweden
臨床試験の公開登録を行っていない製薬企業の視点から,登録に関係する障害と問題点を指摘する.国際的な製薬企業はさまざまな法律を
もつ多くの国で活動していること,企業間の競争,情報の機密性,知的所有権,出版に関するポリシー,消費者の変化やインターネットの発達に
よる影響など,さまざまなものがある.
大きな問題点としては,@現状においては,どのような情報が求められているのかがはっきりしない,A登録をすることによって,将来
どのようなことが予想されるのかが不明である,B目的がはっきりしないまま登録をした場合,どのような対応,アップデートの問題やどのレベルの
情報まで公開しなければいけなくなるのか不明である,C登録の管理部門や問い合わせ部門なども必要となる.そのような状況の中では一概に
公開に踏み込めない.
(12') Professor Desmond Julian, Emeritus Professor of Cardiology (Newcastle-upon-Tyne), Cardiovascular Clinical Trials Forum, London
循環器疾患の臨床試験データベースであるCardiosourceの開発の経験から,試験の登録の障害として,@研究者には登録作業などに割く
時間的余裕がない,A主要雑誌では出版物として対応できない,B企業の知的所有権や事務作業に対する費用が明確でない,ことがあげられる.
登録の形態として,トップダウンとボトムアップの方法がある.トップダウンの方法は政府機関やチャリティーなど助成機関が主体になる方法で
一元的であるが,いくつかの問題がある.それらの機関は,@研究能力に乏しく,A対象者の違いによって何を提供すればよいのか明らかでなく,
B情報の更新が困難で,C発表・公開をすることが少なく慣れていない,などである.ボトムアップの方法は,患者団体や研究者等が主体となるもの
である.
臨床試験の登録にあたっての全体的な課題として,@第T相,第U相など企業の機密に触れる開発早期の情報の取り扱いをどのようにするのか,
A登録内容についての責任の所在,B登録情報の維持・管理には多くの手間と費用が掛かるが誰が負担するのか,が解決される必要がある.
2. 日本にとっての意味
今回のロンドン会議や一連の会議とそこでの討議から,この問題に関する日本の現状を振り返り,日本での状況を改善するための提言を
試みたい.
(1) 日本の現状
まず,治験に関してである.すべて厚生省医薬安全局審査管理課へ届けられているが,その内容は一部を除いて一般には公開されていない.
ここで一部とは,年間を通しての,@新有効成分初回治験届数,A新投与経路,新医療用配合剤初回治験届数,Bn回届数,C変更届数,
D終了届数,E中止届数,F開発中止届数である.日本の治験数の概況はこれらによってある程度分かるが,各治験の内容については一切
公表されていない.
1967年より日本では承認申請に当たって論文の公表が要件として求められていた.これは情報公開の観点から世界的にもユニークで先進的な
制度であった.欧米で近年になって臨床試験の登録や情報公開が言われる30年も前より,この制度が存在していたことは特記してよいだろう.
こうした制度が存在しない欧米では,関係者が臨床試験に関する情報にアクセスしようと言う時,大きなバリアーがこれまでに存在してきた.
日本では,治験が中止または終了しても,その結果などから申請に至らなかった試験に関しては多くが公表されてこなかった,という限界は
あるものの,曲がりなりにも情報にアクセスできてきたという状況であった.このため,これまで臨床試験の登録という考えはあまり関心を
持たれてこなかったのである.
つぎに「治験」以外の臨床試験についてである.今回の一連の会議に「治験」に関する情報に慣れた日本人として参加すると,臨床試験
そのものにより広い拡がりのあることを痛感せざるを得ない.日本での「治験」以外の臨床試験の普及がまず強く期待される.
(2) 各種立場による登録と公開の意味
今回の会議の内容をふまえて,臨床試験の登録と公開のメリットとデメリットを,それに関わる7つのプレーヤーの立場毎に
Table 2にまとめた.メリットは多い.デメリットは主に臨床試験のスポンサー企業に存在する
ことがわかる.しかし,各プレーヤーにとってのメリットに比較すればウェイトは小さく,また具体的な解決策も立てられるであろう.なお,
Table 2には記さなかったが,臨床試験の登録・公開に伴い,臨床試験に関する誤解や理解不足から各プレーヤーが
他から思わぬ攻撃を受ける可能性は否定できない.臨床試験の普及・啓発活動が強く望まれる.
(3) 日本の企業に期待されること
すでにグラクソ・ウエルカム社やシェーリング・ヘルスケア社は,臨床試験の登録・公開を行っている.グラクソ・ウエルカム社は特に先進的で,
会長のSykes RがBMJ の1998年10月31日号に“Being a modern pharmaceutical company”という論説を書いている(日本語訳は本号の
509頁に).ここでは,@パブリケーションバイアスを避けシステマティックレビューを可能にするために,臨床試験を登録すること,A終了した
第2,3相のプロトコールを公開すること,B可能な限りすべての臨床試験の結果を公表し,ユニークな識別番号を付ける,としている.
これはグローバルなポリシーということである.だが,日本支社においてこのポリシーに沿っての活動はまだ始まっていないようだ.企業の
吸収合併(M&A)などで変化の激しい時期であるが,一日も早くこのグローバルポリシーに沿った活動を,日本で日本語環境で始めてもらいたい
ものである.一方のシェーリング・ヘルスケア社の臨床試験の登録は,The Cochrane LibraryのCENTRALへ登録するという形で行われている.
ここには進行中の臨床試験も含まれ,CENTRALで検索すると,発行年(publication year)が2001年というものもみつかる.
医薬品の開発や適正使用がグローバルな視点からなされる今日,日本の製薬企業も外資系・民族系を問わずこの先行的企業に負けずに,
それを追い越すような活動を行ってもらいたい.
(4) 日本の行政に期待されること
ここでは医薬品の承認審査にあたる医薬安全局とその関連機関と,医薬品を含め広く臨床試験に資金を提供する厚生省のほかの部門や
その関連機関に分けて述べる.
第1に,医薬安全局と医薬品機構に対してである.昨年1999年6月から医薬安全局監視指導課より通知が出され,商品名を特定しない限り
臨床試験の患者募集のための情報提供をすることが可能とされた.これは企業が情報公開するものであり,2000年1月より新聞・雑誌や
インターネットによる被験者募集が実際に始まった(http://www.nipponroche.co.jp/など).これは
特定の企業の特定の治験に関してであるが,薬務行政当局がイニシアチブをとりすべての治験に関して一定の情報を公開することが期待される.
そのために公表すべき情報と形式をまず検討して特定していただきたい.
今回のロンドン会議には残念ながらイギリスの薬事行政機関であるMedicines Control Agency(MCA)からの報告はなかった.知的所有権も関係し,
審査当局にとってはやっかいなテーマのようにも思われる.一方で,多くの企業はすでに有価証券取引法に基づいて医薬品の開発状況を
公表している(株を上場していない企業を除く).これらを基に進行中の治験薬の情報を載せた『トライアルドラッグス』(ミクス)なども毎年出版され
医薬品企業や証券会社などに利用されている.世界的なものとしては“Pharma projets”がCD-ROMで発行されている.したがって企業はそうした
一定の情報を一般に公開することにはやぶさかではないと思われる.先に述べたように公表することのメリットは多々あるのであるから,
公表範囲はこのメリットと知的所有権とのバランスで,決まることとなろう.
1999年5月より添付文書は,企業が作成したHTML化した文章として,まとめて医薬品機構の医薬品情報提供のシステムを通して公開されている
(http://www.pharmasys.gr.jp/).治験に関する一定の情報を同様のシステムで公開することは
難しいことではないと思われる.これまで世界にもユニークな治験論文公表要件を持っていた日本の薬務行政当局が,この件については世界の
先頭をきってもよいであろう.
第2に,承認審査には直接関わらない他の厚生省の各部局や関連機関について希望を述べたい.ここで関連機関とは産学や産官共同研究を
推進する医薬品機構やヒューマンサイエンス財団などが含まれる.日本におけるEBMの流れの中で,厚生省の健康政策局や他の局,上記の機関
などにおいても前向きの研究デザインをとる臨床試験に資金提供することが,近年多くなってきた.通常,日本ではこうしたパブリックファンドの研究
は厚生省などへの報告書として公表されるが,その情報の質は学会誌のようには問われることはなく,また報告書は図書館情報学の分野では
グレイペーパーなどと呼ばれアクセスしにくい代表と見なされている.
いわゆるパブリックファンドの臨床試験は,それが国民の税金を用いてなされることから,臨床試験の登録と公開を行うことはより正当性が
高いものである.また治験とは異なり,企業の知的所有権をさほどは考慮する必要のない領域でもある.日本でのこの領域に向けての何らかの
アクションが厚生省の各部局や関連機関でとられることが望まれる.登録と公開にあたっては世界の多くの医学雑誌で用いられる「構造化抄録」
(structured abstract)の形式が1つのモデルとなろう.
(5) 一元か多元か
ロンドンでも議論されたが,現在,臨床試験の情報は複数の別個のデータベースで提供されている.これはユーザーにとっては使いづらいもの
である.The Cochrane LibraryのCENTRALは進行中(ongoing)のものも含み,世界中の全てのRCTの一元的なデータベース化を目的とするもの
である.同一試験から複数の論文が出版されることがあるが,それに対しては臨床試験に対し世界でユニークな1個のID番号を付けることも
ロンドン会議では紹介された.このシステムをとれば,利用者は進行中のものから,中間解析,最終報告まで全体の経過を追うことができる.
こうした技術的問題を一つ一つ解決するなどして,世界的に一元的なデータベース構築の方向へ動いてもらいたいものである.
おわりに
臨床試験の空洞化が言われて久しい.従来の「治験」によって形成された臨床試験に対するネガティブイメージを払拭するための1つの方法
としても,臨床試験情報の公開は大きな意味を持つ.しかし,世界的にみても登録し公開する際に,何を公開するのか,どうやって公開するのか
ということはあまり議論されてこなかった.今回のロンドン会議により関連するプレーヤーの要求するものが異なることが明確となった.さらに適切な
形での情報公開への提起がなされた.登録・公開のメリットは大きい.とくに医薬品の開発がグローバル化し,医薬品の使用もまたグローバルな
EBMの動きの中でなされるようになった現在,日本もこの大きな世界的流れの中への積極的参加が強く望まれる.
本報告の一部は,平成11年度厚生科学研究「EBMを支えるリサーチライブラリアン養成についての調査研究」の成果を元に
書かれた.
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VOL.27, No.3, Apr.2000「臨床試験の情報公開と国際保健」目次へ