このたび,市販後医薬品の安全性確保の大きな柱として,市販直後調査が平成13年10月から開始された.市販直後調査は「医薬品の市販後調査の基準に関する省令の一部を改正する省令」(平成12年厚生省第151号)により新設されたものであり,一方,再審査制度で必須とされてきた使用成績調査が見直され,医薬品の特性に応じて実施すればよいという位置づけに変更された.「医薬品安全対策の現状と展望」という本特集は,こうしたわが国における医薬品の市販後安全対策の変化をかんがみて企画されたものと思われる.本稿では,特集を通読した上で,第2部の「市販後の安全性」に関連して私見を述べさせていただくことにする.ペンシルバニア大学のStrom教授は,その編著「薬剤疫学」1)の中で,薬剤疫学研究が果たすことのできる最も重要な一般的役割は医薬品の「安全性の再確認」であるとしている.何らかの未発見の問題を探し出そうとする真摯な努力を継続的に積重ね,安全性の再確認を遂行することにより,その組織の責務を倫理的に責任をもって果たすことができる.医薬品の安全性確保の願いは同じでも,それぞれの組織・立場における責務は異なり,その視点は必ずしも同じではない.本特集には,医薬品の安全性対策にかかわる行政当局および製薬企業の関係者とともに,独自の立場から安全性確保のために活動している研究者の取組みも含まれている.それぞれの安全性確保のための努力・意義が理解できるとともに,相互に対照することにより医薬品の安全性確保にかかわる厚みのある認識に達することができるように思われる.
『行政の動き』では,お役所的な型通りの安全対策の提示ではなく,行政当局の立場からわが国の「医薬品の安全対策」が述べられている.医薬品の安全性の考え方の整理,製薬企業とは異なる安全性確保における行政当局としての責務の確認に続いて,現時点における安全性を高めるための行政としての努力,具体的な安全対策が説明されている.「日本のPMS:市販直後調査を中心に」では新しい制度導入に至った経緯を含め,新制度を推進した立場から市販直後調査の意義・概要が明確に述べられている.米国およびヨーロッパ連合における医薬品の安全対策の現状は,詳細な資料に基づきながら,平易な解説がなされ,今後の安全対策を考える上で示唆するところが大きい.また,『企業の取組み』においても,国内系企業と外資系企業の立場から取組みの詳細な実情が示されるとともに,問題点の指摘もなされている.
「日本のPMS:市販直後調査を中心に」で述べられるように,今回導入された市販直後調査の第1のねらいは,販売直後における適正使用に向けた情報提供の徹底であり,第2のねらいは,販売後6ヵ月間での重篤な副作用等の発生に限ってその情報を迅速かつ可能な限り網羅的に収集し,必要な安全対策を講じることである.しかしながら,「調査」という誤解を招きやすい言葉が用いられているため,本特集中でもみられるように,第2のねらいが主要なものと捉えられ,市販直後に新医薬品が使用された全例を登録して網羅的に安全性情報を収集するもの,などといった誤解も一部にはある.患者情報などを収集した上での副作用などの頻度把握は市販直後調査の守備範囲ではなく,重篤な副作用に限っての期間限定の自発報告強化が市販直後調査の第2のねらいである.
医薬品にかかわる重大な安全上の問題を検出する最も重要なシステムは,自発報告制度である.未知で重篤な副作用発見のきっかけのほとんどは,症例報告,自発報告制度によるといっても過言ではない.自発報告制度にかかわる『副作用報告システムの現状』では,わが国の医薬品・医療用具等安全性情報報告制度と米国のMed Watchの概要が提示され,ヨーロッパ連合については緊急副作用自発報告の取扱いシステムが分かりやすく解説されている.また,WHO国際医薬品モニタリング制度については,副作用情報の収集,分析・評価,安全性情報の伝達などのモニタリング制度の解説とともに,自発報告制度の考え方,意義,問題・限界および今日的課題が的確に指摘されている.世界共通の課題ではあるが,実際の医療現場で発生していると想定される副作用に対して報告件数が過少であることの懸念は,特にわが国では大きい.市販直後調査による自発報告の強化や「日本薬剤師会における安全性への取組み」におけるDEM(薬剤イベントモニタリング)による自発報告の強化などが相俟って,医療関係者のより大きな支持・協力を得て,わが国の自発報告制度の改善が強く期待される.
一方,平成14年3月廃止ともいわれる使用成績調査でなしえることは,使用実態下での副作用頻度などの精度の高い把握であり,市販前にも得られていた情報の補充の役割が大きいと考えられる.自発報告強化の側面をもつ市販直後調査とは,明らかにその目的を異にしている.従来の規模の使用成績調査に対して未知で重篤な副作用検出に過度の期待を寄せるのは無理なことであり,むしろ中等度ないし軽度の重篤度ではあるが,比較的頻度の高い副作用などの発現実態を患者特性・併用薬などとの関連から詳細に分析・評価し,医薬品の適正使用に役立つ安全性情報などの検出が模索されるべきであったとも思われる.パイロット研究の段階であることから本特集では取り上げられなかったが,これまで製薬企業ごとに蓄積されるのみで活用が不十分であった使用成績調査のデータを集積して,個々の患者により適合した薬物治療のためのデータベースとして利用する試みが,日本RAD-AR協議会のもとで開始されている.
特別調査については,医薬品を使用する条件が定められた患者群(小児,妊婦,腎機能障害または肝機能障害の患者など)についての調査が重点とされている.しかしながら,疫学の立場から極めて奇妙に感じられるのは,副作用などの発現頻度の把握を目的とする調査において適切な比較対照群を設定しようとする姿勢がわが国の行政当局および製薬企業にほとんどみられない点である.対照的に,欧米諸国においては,医薬品の安全性評価を行うに際して相対的評価を行うべき機会が多いことは当り前の認識と思われる.実際,英国の「The SAMM Guidelines:Guidelines for Company-Sponsored Safety Assessment of Marketed Medicines」2)という企業がスポンサーとなる医薬品の市販後の安全性研究ガイドラインにおいて,「コホート研究には,通常,適切な対照群を含まなければならない」ことが明記されている.そして,このSAMMガイドラインの内容は,ヨーロッパ連合全体の医薬品市販後監視ガイドラインである「Pharmacovigilance Guideline」(ヨーロッパ医薬品審査局EMEA:The European Agency for the Evaluation of Medicinal Products.1999年1月29日,http://www.emea.eu.int/pdfs/human/phvwp/010899en.pdf)にも反映され,対照群のある市販後研究が報告されている.
重篤な副作用,あるいは特定の医薬品に特異的な副作用は医薬品の安全性確保において最も重要なものであり,その発生を未然に予防する情報提供の強化と万一の発生時における迅速な対策実施の改善をめざした今回の医薬品GPMSPの一部改正は意義のあるものである.しかし一方で,相対的な評価,定量的な評価が必要とされる安全性の問題への科学的アプローチについても,欧米諸国にならって,今後さらに対応が必要と思われる.
『研究者の取組み』では,それぞれの研究者から医薬品の安全性確保における各活動の意義・経緯とともに,その成果なども強調されている.各取組みが,行政当局および製薬企業への刺激ともなり,安全性確保に貢献してきたと思われる.行政当局および研究者とが触れている糖尿病治療薬にかかわる問題などの具体例からは,医薬品の安全性確保における多面な実情を垣間見ることができる.
臨床的,行政的,商業的または法的な決断は,その時点での利用可能な最良の根拠に基づいてなされるべきである.比較的最近の例としては,インフルエンザ脳炎・脳症との関連が懸念されるNSAIDs解熱剤についての行政当局の対応がある.すなわち,ジクロフェナクナトリウム製剤の使用をインフルエンザ脳炎・脳症患者に対して禁忌(平成12年11月),メフェナム酸製剤を小児のウィルス性疾患(水痘,インフルエンザなど)の患者への投与禁止(平成13年5月)などの対応である.これに関しては,『研究者の取組み』においても,その危険性についての強い警告と行動が述べられている.一方,今回のインフルエンザ脳炎・脳症の中には5%ほどのライ症候群が含まれると報告されているが3),ライ症候群と比べて,インフルエンザ脳炎・脳症は若年齢(1歳がピーク)であり,感染症(インフルエンザ)発症から神経症状発現までが短期間(2日以内がほとんど)であり,ライ症候群の特徴である血糖低下やアンモニア増加などの頻度もわずかであった.アスピリンとライ症候群との関連を解明した米国でのケース・コントロール研究でのライ症候群患者の90%以上がアスピリンを使用していたのに対して,インフルエンザ脳炎・脳症患者ではNSAIDs解熱剤の使用は40%以下で把握されているに過ぎない.今回の行政的な措置は,NSAIDs解熱剤とインフルエンザ脳炎・脳症の因果関係などについては不確実な情報下にあるが,解熱目的にはアセトアミノフェンなどの代替処置があることから,患者の安全と最善の対応を考えてのものとされている.
今後も,科学的には証明されていない不確実な情報下であっても,必要な迅速な対応を行うことが表明されている.研究者の正当な科学的な取組みが医薬品の安全対策・行政対応により迅速に取り入れられることが期待されるとともに,真に有用な自社の医薬品を濡れ衣から守るためには製薬企業は行政からの規制を最低限満たしているのみでは不十分であり,意義のある科学的な市販後の調査・研究を行うべきことが求められている.
「すべての科学的な研究は,それが観察研究であっても実験研究であっても,不完全なものである.どの科学的な研究も新しい知識により,覆されたり,修正されたりする.そのことはそれまでの知識を無視することを許すわけではなく,またある時点での必要な行動を延期することを許すわけでもない.」Sir Austin Bradford Hill4)
文 献
1) Strom BL, ed.:Pharmacoepidemiology, 2nd edition(清水直容,楠正,藤田利治,野嶋豊監訳.薬剤疫学).篠原出版,1995.
2) The SAMM Guidelines:Guidelines for Company-Sponsored Safety Assessment of Marketed Medicines. Br J Clin Pharmacol 1994;38:95-7.
3) 森島恒雄,富樫武弘,横田俊平,他.インフルエンザに合併する脳炎・脳症に関する全国調査.日本醫事新報 2000;3953:26-8.
4) Hill AB. The environment and disease:association or causation? Proc R Soc Med 1965;58:295-300.国立公衆衛生院疫学部
藤田利治