臨床評価 2000; 28(1): 177より
ISO9000シリーズは、商品やサービスの質の管理(クオリティ・コントロール)ではなく、商品やサービスを生み出す仕組みや手続きの質の 保証(クオリティ・アシュアランス)に関わるらしい。どういう組織がどういう責任と権限を持ってどういう手順でプロセスを管理するか、こういう ことをやりなさいという、クオリティ・システムの規格のようである。良い商品やサービスを作る組織であると外部から分かることが重要に なってきたからだという。ISO9000の専門家たちの話し振りからすると、登録・維持のコストを上回る、競争力の強化、透明度の増加という おつりが来るそうだから、その取得は企業にとって結構なことなのだろう。
これまで、ドイツのマイスターや宮大工・西岡常一さんの仕事のやり方を尊敬し、出来上がる商品やサービスの質さえ良ければと思って きたせいか、時代と世界が求める考え方の流れが随分変わってきたな、と思う。ISO9000は、大量生産され、国際間で競争する電気・ 電子製品の製造工場などの組織にとってはもっともだと思えるが、海外では病院(日本でも一部で取得済み)や教育機関、役所も取得している というから、エッと呟いてしまう。それにしても、時々刻々、個別具体的な判断と実行が求められる臨床の現場で、科学性と倫理性がせめぎあう 戦いの場からダイナミックに生み出されるべき臨床実験データの質にとって、ISO9000とは何か。
ISO9000は、どうやら、工場、銀行、官庁など事業所単位のものらしい。そうすると、元請下請けなどの関係のない(ISO取得のドミノ効果の ない)、様々な組織体が関わるプロジェクトについて、各組織体がこのISO9000を取得しているとして、プロジェクト全体のサービスの質は向上 するだろうか。臨床実験は、製薬企業、CRO、医療機関、研究者・医師グループ、IRB、厚生省、医薬品機構など様々な組織体が関わるが、 臨床実験データの全体としての質、科学性と倫理性にとって、ISO9000とは何か。
ISO9000は、アングロサクソンの発明にかかるものであるにもかかわらず、性善説に立っているらしい。アングロサクソンの得意な契約書が 別名デイヴォース・ドキュメントと言われるとおりしっかりと性悪説に拠って立っていることを考えると、いくらでも嘘がつけるというISO9000 という新しい制度にどことなくすわりの悪さを感じるのは思い過ごしかもしれない。
臨床実験にまつわる科学的非行は次第に洗練されてきているという。例えば、一つの組織体が意図してデータ・マッサージしたとして、残される 文書はマニュアルどおり完璧に出来上がるだろうから、その足跡は見事に消えているということになるのか。CROがon-site-inspectionを マニュアルのQ&Aどおりに完璧に実行したとして、真実はぼかされるかもしれない。そうすると、プロジェクト全体のシステムの質をコントロール しない限り、個々の組織体のシステムのクオリティ・アシュアランスのみでは、インターフェースの部分は相変わらずブラックボックスのままだし、 全体としてのデータの質を高めることと逆行することさえ起こりかねないのではないか。
クローン法案を科学技術庁がこの国会に再上程するという。クローン技術そのものは、科学技術庁の管轄かもしれないが、その基礎にある 生殖医療・医学は厚生省、文部省の管轄であり、そのまた基礎にある動物実験、人間実験となると、厚生省、文部省の他に、農水省、通産省 などの管轄でもあるだろう。春の国会(第147国会)に上程され廃案になったクローン法案をみると、クローン技術の前提となる体外受精の 余剰卵について、科学技術庁案は無関心である。何故無関心か。それこそ、他省庁の縄張りに口出ししないという縦割り行政サービスの 結果の見本のようなものである。しかし、生殖医療という上流における人権状況は放置して下流のクローン問題だけを扱う法案はザル法に しかなりえない。結局、政府全体のサービスについてクオリティ・マネジメントがなければどうにもならない段階に日本は来てしまったように思える。
海外ではISO9000を官公庁、大学、教育機関なども取得しているという。日本も遠からずそうなっていく流れの中にあるのかもしれないが、それは それとして、それとは別に、プロジェクトごとに、関連する諸組織全体のクオリティ・マネジメントのシステムを構築し、全体としてのサービスの質を 保証する必要があると思われるのだが・・・。(光石忠敬)