パブリケーション・バイアス回避に向けての
グラクソ・ウエルカム社の取り組み
*
How Glaxo Wellcome contributes
to the avoidance of publication bias
Trevor Gibbs(Director, International Medical Operations, Glaxo Wellcome)
〔臨床評価(Clinical Evaluation ) 2000; 27(3): 511-7より〕
1. EBM時代の製薬企業の役割
製薬業界においてグラクソ・ウエルカム社は大きな役割を担っているが,その製薬産業は,ヘルスケアの分野において世界的に重要な
存在となっている.製薬産業は,当局による承認制度の一部として定められた,臨床試験の実施・分析・報告の義務における厳格な
プロセスを基盤として成立している.企業が製剤の承認申請を行う際には,その製剤に関する全ての臨床試験資料が申請時に提出される
べきであると,法律によって定められている.
現在われわれは,社会全体の期待のめまぐるしい変化や科学・医学の進歩を経験しており,これらにより現代的な製薬企業は,10〜15年
前には明らかではなかったいくつかの重要な役割を担うようになった.製薬産業は,科学の進歩を活用し,研究者・医療提供者およびその他の
ヘルスケアの専門家とパートナーシップを組む必要がある.こうしたパートナーシップの成果の一つとして重要なことは,臨床試験をオープン
にし,透明にすることの必要性への認識が深められることであり,そうすることによりわれわれの顧客は,処方の意思決定をする際に,臨床と
研究の両面のエビデンス(evidence)についてよりよくバランスを取ることができるようになるであろう.
このような考えは,当社の会長であるリチャード・サイクス卿(Sir Richard Sykes)により,いくつかの場面で説明されている.サイクス卿は,
当社が製造する医薬品は全て,知識を結集させることによってしか生み出しえないものであると過去に述べており,さらに重要なこととして,
われわれグラクソ・ウエルカム社は,当社の製品を処方する根拠が明確となる環境づくりをしたいと述べている.
ここで,われわれが従来,意思決定にどのような影響を及ぼしてきたのかについて考えてみる必要があるかと思う.意思決定の中心に
あるのは,現在も,そして過去においては確実に,医師個人であり,その医師は様々な情報の影響を受けているのである
(Fig. 1 <Acrobat form><HTML form>).例えば,
医学出版物,広告,郵便物,販促資料およびMRとのコンタクトなどがあり,この他に,本日のカンファレンスに参加されているような
オピニオン・リーダーの影響や,出版物などもある.こうしたものは,従来の情報伝達経路であり,これまではそうした流れで情報は
伝えられていた.しかし現在われわれは,「根拠に基づく医療」(evidence-based medicine:EBM)という新しい時代へと移行している.ここに
おいては,ガイドラインやプロトコールおよび医療技術評価(health technology assessment:HTA)が判断の推進力となっている.これは,
英国でNational Institute for Clinical Excellence(NICE)が開設されたということから,本日話すのに,実にタイムリーな話題である.
これらの評価は,多くの場合,公表された根拠についてのシステマティック・レビューに基づいて行われている.そして,EBMという
新時代へと移行している現在において,製薬産業はその存続を賭けて,利用可能なエビデンスを提供すべきことは明らかなのである.
現在の環境では,製剤の発売時に,その製品に関する情報が公表されて利用可能となっていることはあまりないのが普通だと思われる.
これは,単に情報が出版社のところまで伝わっていながらも雑誌の形になって発行されていないことによる場合が往々にしてあるからだ.
このように,従来の医学雑誌では,同僚審査(peer review)から公表までの間に重大なタイム・ラグが存在する.製品のライフ・スパンの間に,
その製品に関する論文の全文および抄録を様々な会議や医学雑誌で目にすることになる場合が多いが,これらのうちのいくつかは同じ
情報の重複もあると言わなければならない.加えて,明らかにパブリケーション・バイアスがあると証明できるような場合も多いと思われる.
言い換えれば,肯定的な結果の方が否定的な結果よりも,より多く公表される傾向があるということだ.製薬産業は,否定的な結果を公表
しないという批判をしばしば受けるが,医学雑誌自体が,どのようなヘルスケアの問題についても,肯定的な結果を伝える部分の少ないものを
公表することに,興味を示さないのである.
2. 臨床試験登録の試み
このような背景の中,われわれは,EBMという新時代の中で,自分自身を見つめ直し,自社の製品についての情報を提供する方法を改善
することができるのではないかと判断したのである.「臨床試験登録」(clinical trial register)の設立を決定するにあたり,多々の議論が行われた.
臨床試験登録を設立せねばならないと駆り立てられるような問題もあれば,設立を遅らせる要因になったであろうと思われる懸案事項
(Table 1 <Acrobat form><HTML form>)もあった.しかし,その設立を促進した主たるものは,上述したように,われわれの顧客にエビデンスを提供するということなのであ
る.1996年から97年にかけてわれわれがこの決定をした鍵となる問題の一つに,顧客の情報提供に対する要求が英国だけのものなのか,
それとも英国以外においてもあてはまるものなのかということがあったが,ここ数年で,これは全世界に共通の問題であるということが明らか
になってきたと考える.また,近年参加したいくつかのカンファレンスは,全世界的に行われる臨床試験登録に対しての多大な関心を喚起
してきている.
ヘルスケア産業における信頼性のあるパートナーとして,信頼に足る情報を提供したいという意志を持つのは当然のことであり,それは,
グラクソ・ウエルカム社が持つパートナーシップを重視する姿勢とも一貫したものである.懸案事項に関しては,企業秘密を,とりわけ
競合他社に提供することになるのではないか−例えば,機密性のある自社の開発計画の詳細を公表することになりはしないか,また,
競合社はその情報を利用して利益を得ることになるのではないか−といったようなことが主たる問題だったと思われる.
しかし実際には,これらの問題に対するこたえは,「No」ということであろう.競合社が当社の登録された臨床試験から情報を得ることに
依存しているとするならば,そのような会社については,競争という意味では心配する必要はないのである.また,情報源に関連した問題
もあった.とくに,過去の臨床試験の後ろ向きの登録(retrospective register)をウェブサイトにのせる場合に問題となった.というのも,会社
の主な所在地から遠く離れた場所にある場合が多い記録保管所にファイルされているような古い情報にアクセスすることは,時によっては
大変困難だからである.
このように,グラクソ・ウエルカム社,そして加えて言及すべきはシェーリングUK社も,臨床試験登録の設立を決定したというのは,こうした
いくつかの懸案事項をのりこえて,なおかつ顧客にエビデンスを提供するという強い要因が推進力となってのことなのである.当社が臨床
試験登録の設立を決定して2年が経つが,現在においても他の製薬企業は依然として判断を下していない.
3. 臨床試験登録・公開の実際
それでは,グラクソ・ウエルカム社はどのようなことをして来たのであろうか.1997年11月に臨床試験登録の設立の意思を宣言し,その
1年後に初めての登録が開始された.この登録は,グラクソ・ウエルカムR&Dのホームページの中のパスワードで保護されたサイト
においてヘルスケアの専門家が利用できるようになっている.現在のところ患者はアクセスすることができないが,これは主として,患者に
直接向けられる広告についての法律的な問題が懸念されることが理由である.しかし,ヘルスケアの専門家あるいは研究者であれば,
誰でも簡単にアクセスすることができる.(http://ctr.glaxowellcome.co.uk)
では,この登録からはどのような情報が得られるのだろうか.当初は,「ゼフィックス」(Zeffix)と「セレタイド」(Seretide)に関する情報が掲載
されていたが,ここ数カ月間で,「リレンザ」(Relenza),「アジェネラーゼ」(Agenerase)および「ザイアジェン」(Ziagen)といった最新情報が掲載
されるようになった.最初の製品「ゼフィックス」は肝炎治療薬であり,「セレタイド」は喘息の基礎治療となる薬剤である.「リレンザ」は
インフルエンザの治療薬であり,「アジェネラーゼ」および「ザイアジェン」は,HIV感染症の新しい治療薬である.これらの製品に関して何を
行ったかというと,最初の主要な承認取得時に,承認申請までの全てのフェーズUおよびフェーズV試験を公表したのである.その後試験の
進行にしたがって,フェーズVbおよびフェーズW試験と追加で行われる試験について毎年更新していく,というのがわれわれの意図する
ところである.
これは,英国だけの登録ではなく,全世界におけるグラクソ・ウエルカム社の試験についての登録である.試験結果は含まないものの,
公表されている論文の抄録とフルテキストの参考文献を掲載し,それにより,登録画面をみた者は誰でも,臨床試験の論文が公表されて
いるかどうか,また,どこで公表されたのかがわかるようになっている.公表されていない場合は,ユーザーがその理由をわれわれに
問い合わせることができるようにもなっている.
このweb-siteにアクセスすると,
Table 2 <Acrobat form><HTML form> のようなものをみることができる.これは,「ラミブジン」(Lamivudine)の登録の例である.ご覧の通り, 成分名,治験番号,試験名,試験のデザイン,エンドポイント,用量を含む治療法,目標患者数,参加国,グラクソ・ウエルカム社の連絡先,
試験中か終了しているかなどの試験の状況,それに公表状況などがわかるようになっている.
Fig. 2 <Acrobat form><HTML form> は,登録が設立されてから1999年8月末までに発行されたパスワード数の概要を示している.登録の設立に関するプレス・リリースが 出された当初は,1カ月のヒット数およびパスワード依頼数が250件あったが,この数字は今,1カ月に約70件のパスワード発行に
おさまっている.
4. パブリケーション・バイアスの回避に向けて
臨床試験登録を実施するにあたりグラクソ・ウエルカム社がとっているアクションはそれだけではないことを認識することは重要である.
われわれは,登録を提供するだけでは意味がない.結果を公表すること,そしてパブリケーション・バイアスを回避することに全力を尽くす
ことが重要であると認識して,
Table 3 <Acrobat form><HTML form> に示すような2つの決断を,加えて実行した.
公表することに新たなる焦点を置き,可能な限り早く公表し,理想としては承認申請と平行した形で行われるよう,公表活動に投入する
財源を増大した.われわれは,当社の全ての試験を公表するという試みに力を注いでいるのである.このことについて疑問を提示した者
もあった.確かに,われわれは可能な限りのあらゆる試験を公表するように努めているが,一方であらゆる試験が,そこに載せたいと思う
ような雑誌に簡単に掲載されるとは限らないということも,認識しなければならない.種々の試みを経た後にわれわれは,システマティック・
レビューをする者が出版された論文からオリジナル・プロトコール・ソースを同定できるよう,また存在するのであれば重複出版のインパクトを
抑えるためにも,個別の識別番号(unique identifier)を付与する方式を導入することになった.
Table 4 <Acrobat form><HTML form>
は,ネガティブな結果を公表した場合のわかりやすい例である.当然ながらこの製剤,コード名546は,患者の治療のために
使用されることはない.大規模に行われたフェーズV試験の結果は,疾病の進行に敗血症性ショックというネガティブな影響をもたらすことを
示している.しかしながら,この試験結果は試験終了後まもなくCritical Careという雑誌に公表された.ネガティブな結果を公表する
という当社の取り組みが,ここで理解いただけるであろう.
5. コクラン共同計画との共同作業
しかし,すべてが順調にすすんでいるということをここで示したいわけではなく,まだしなければならないことは山ほどある.それは,
コクラン共同計画(The Cochrane Collaboration)との共同作業をすすめるうちに力を注ぐようになってきている領域の仕事である
(Table 5 <Acrobat form><HTML form> ).ネガティブな,あるいは「面白くない」(boring)と言われるような結果が公表されるようにすることは難しい場合があると前にも述べたが,
われわれが期待しているのは,電子ジャーナルを新たにつくることによって,面白くない結果の公表も容易になり促進することができる だろう,ということである.われわれが公表している論文中に,システマティック・レビューをする者を支援するために必要な情報がすべて
含まれているだろうか.平均値,標準偏差,ランダム化および盲検などの問題が論文の中で明確に同定されているか.われわれは, コクラン共同計画との共同作業によって,論文の中に必要な情報が適切に含まれることが確実になるようにしている.
過去に行われた臨床試験に溯ってある製剤についての情報を入手することは,難しい問題である.コクラン共同計画は,
グラクソ・ウエルカム社と似ているところが少しある.それは,全世界に渡る組織であるため,自らの組織から,同じであるかまたは
似たような情報についてのリクエストが多数あり,フラストレーションとなる場合がある,ということである.現在,グラクソ・ウエルカム社と
コクラン共同計画の気道レビューグループ(Cochrane Airways Group)は,両者の間に簡便な連絡網を構築し,重要な問題から処理
していく作業に取組んでおり,それによっていくつもの連絡を受けることによって生じるフラストレーションを減らし,同時に仕事量も減らし,
共同作業を促進できるようにと試みている.
結論としてグラクソ・ウエルカム社は,臨床試験の公表という分野でとるべき方針についてイニシアティヴを持って着手してきたことが
いくつもあり,その目的は,自社の製剤が処方されるエビデンスを明らかにすることである.ここで述べたように,現在のところ臨床試験
登録に参加している企業は,グラクソ・ウエルカム社とシェーリングUK社だけである.当社の参加は,他の場所でも多大な関心を喚起する
ことになったが,他の製薬企業は,当社のこの試みの結果がどう出るのかを待っている状況である.
グラクソ・ウエルカム社の究極的な目標は,当社の臨床研究が信頼のおける,アクセス可能なものであることを確実にし,これによって,
当社の製剤が患者のヘルスケアを,最良の効果をもって改善するために使用されるようにすることである.
1999年10月
(訳:グラクソ・ウエルカム株式会社 広報室)
*本稿は,1999年10月4日(月)にロンドンで開催された「ランダム化比較試験の登録に関する会議」
(Conference on “registering information about randomized controlled trials”),および10月9日(土)のローマでのコクラン・コロキウム
(Cochrane Colloqium)のセッション「商業的環境においてレビューの作成と伝達を改善する戦略をどう立てるか?」
(How to develop strategies to improve the production and dissemination of reviews in a commercial environment)での
プレゼンテーションの講演録である.
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VOL.27, No.3, Apr.2000「臨床試験の情報公開と国際保健」目次へ