臨床評価 1980; 8(2): 531より
本号がお手もとに届くのは夏休みもたけなわで、秋にそなえて英気を養われておられる頃と存じます。
編集後記を書く段になると、いつも編集後記とは何か?どんな意義があるのか?など頭に浮んで筆がすすまない。雑誌の有する性格による 所が大であると思われるが、本来投稿を原則とする原著雑誌ならば、投稿規定と査読があれば編集者が毎号毎号後記を書く必要はなく、 多くの学会雑誌がその例である。
これと違っていわゆる医学雑誌では、毎号編集者がある目的をもって編集することが多く、その意図を読者に知ってもらうために後記が 書かれているが、わずかのスペースで意を尽くせないものが多い。噂によると後記だけしか読まない”後記愛読者”あるいは”後記評価者”が いるそうである。こういう方々のためには、各論文の最重要点を1〜2行で抄録して差し上げたいところだが、表題がありまとめがあるので、 そのような差し出たことはやるつもりもなく能力もない。結局は読者諸氏に各論文を熟読して下さいとお願いするのが、後記執筆の目的と なってしまった。
薬物の臨床評価の問題は表面的には型式が整い大きな問題点は少なくなったようにみえながら、山程の未解決の問題を抱えながら進んでいる。 本号では、この中でも同意書の問題、非ステロイド系抗炎症薬の臨床評価の問題点および心身症の薬効表示の問題点などについて、 いくつかの指摘と、著者らのそれに対する提案がなされている。論文の論旨および結論に対し最終的に責任をもつのは執筆者であるか、 あるいは編集者であるかの問題は残るにしても、少なくとも論文の結論に、編集者すべてが賛意を表した論文のみが掲載されているのでないこと は、明確にしておいた方がよいと思われる。各論文を読まれる方々は、どうか御自分の判断を持たれ、できれば「編集者へ」といったような 投稿で論議が尽されて行くならばこんなに嬉しいことはないと思われる。
編集とは何か、後記とは何かと改めて自ら問いながら後記を読者に送る。(清水直容)