臨床評価 1979; 7(3): 645より
発明を奨励するために技術革新の独占を許すのが特許という制度であるといわれている。独占と反独占の、歴史における攻防は なかなかダイナミックである。
もともと特許制度は、ギルドの厳しい締め付けに抗して織物工を大陸から移住させ自由に営業させるために特権を与えるところから 13、14世紀のイギリスで始まる。16、17世紀になると、王室の財源難から特許料収入に着目したエリザベス王女やジェームズ一世が一部の 貴族や大商人に営業特許を濫発したことから、産業資本家や小生産者などを保護するためにStatute of Monopoliesが成立する。近代 特許法の嚆矢とされるこのStatuteは、true and first inventorに対する特許以外は無効である旨宣言する。ギルドの独占や一部の貴族、 大商人の独占に対抗して特許という独占制度が生れたのは面白い。
自由貿易主義の抬頭とともに、やがて西欧では反特許の風潮が強まり、例えばオランダが特許法を廃止するなどしたが、経済恐慌を経て 保護主義が抬頭すると特許擁護の思想が大勢を占め特許制度が確立していく。しかし今日、世界中で、独占禁止政策や開発途上国の利益 との矛盾が顕となり、改めて特許制度の存在理由が問われている。
日本では将軍吉宗の頃、新規法度の禁令がしかれ発明工夫の類は禁じられていた。西欧の特許制度を紹介した福沢諭吉ら明治の先覚者 の努力はひととおりではなかったようである。今日、日本は、少なくとも出願件数に関する限り世界一の特許「大国」にのし上った。大企業 の中には、やっていることは何から何まで出願しているのではないかと思われるほどのところもある。けれども、医薬およびその他の応用化学 などの分野を除くと、特許に対する依存度はおしなべて低い。にもかかわらず洪水のような出願が特許庁めざして押し寄せるのは何故だろうか。
本誌4巻3号(1976年)にクロスオーバー法の解析のためのシステム解説書が発表されたとき、前年の12月には特許庁、弁理士会からコンピュータ ・プログラムに関する発明についての審査基準が決定されてはいたものの、これを特許出願しようなどと誰も考えていなかったに違いない。 ところが皆の苦心の作であるこのシステムを模倣する気配が現われた。もし誰かが仮にもこのプログラムについて特許をとり独占するような 事態になったら、われわれの主旨である情報の自由化と相容れない。のみならず、社会にとってもマイナスになる。何としても誰かに独占させる のは防がなければならない。
1977年6月1日、このプログラムについて出願した真意はここにあった。だから出願審査の請求はしていないし(これは異例のことである)、これ からもする意思はない。この出願が万一権利になることがあっても他の者の使用を妨げる意思などわれわれは全くない。むしろ社会の共有財産 として、このプログラムが大いに利用され、改良されることをこそ望んでいるのである。(光石忠敬)