臨床評価 1979; 7(2): 421より
国内や外国の比較的重要な研究報告を読んだり、読まされたりしている印象から言うと、一応読むに耐える報告の数はわが国でも最近 はかなり増えてきて、しかもその質が比較的そろっているように思う。これに反して外国の報告は、ずい分レベルの低いものもあるが、一方 わが国では費用や人、期間の点でとてもやれないハイレベルのがっちりした報告が年にいくつか出てくる。また国外の報告の方が2重盲検、 比較検定という点はしっかりふまえていてしかも計画の上で多彩である。このような状況のちがいは、日本と欧米の間のいろいろなちがいと 似ているのかも知れない。
ところでその日本のやや定式化した研究の中でも、臨床評価7巻2号には、注目すべき論文がいくつか見られる。経口の酵素製剤について 長年くすぶりつづけている疑念に関して解答が期待された長岡論文は、正直なところ灰色解答とでも言うほかないことになった。そのつぎは 胆道・膵疾患への薬物療法について、あるいはその方法論について、議論を呼ぶだろうと思われるのが吉利論文である。一方、脳血管障害 の薬物治療薬も長年の間切れ味のよいものがなく、有効性の証明にも困難さが伴っていたがそうと言い切れない薬物が出現したようである。 しかしプラセボとの比較なので、脳血管障害を診る臨床医のなかには、現実の治療上の指針としては不十分だという印象をもたれるかも 知れない。
本号では以上のような報告のほかに、産婦人科の立場での薬物治療の困った状況について山本論文が詳細に論じており、これは各科の 臨床研究者が計画の立案、実施にさいして十分考慮しなければならないことを感じさせる。資料2のFDAの薬効評価一般指針で試験対象は 投与されうるすべての年齢を含み、老人を除外してはならないとしており、また妊娠可能の女性の定義が出された。この2つの点はわが国の 現状とはちがうので、詰める必要が出てきた。
世界医師会宣言の独立委員会制、あるいは米国の施設内審査委員会制、臨床研究規制法などについて資料1および2がふれている。これらの 点はわれわれとしては残念ながら不十分である。(佐藤倚男)