編集後記


臨床評価 1978; 6(3): 595より

優れた人材やアイディアも適当な機構がなければ生かされない一方、いかに立派なシステムを作っても人材を得られなければむしろ時には 反って有害無益となることはおよそあらゆる分野で日常われわれの経験するところであり、人間社会の宿命であるかも知れない。今日世界 的に医療行為全体に対する社会的な考え方が変化して来ており、それが悲しむべきことか喜ぶべきことなのかは別問題として、われわれ医師 の単なる”自己満足的”な”良心的行為”のみでは不十分で、”科学的・客観的”な”良心的行為”が要求されるようになって来た。薬効評価に おける”患者の承諾”の問題も、われわれ医師にはいろいろな意味でのジレンマ――そのうちのある部分は、確かにわれわれ医師自身の問題 というよりは、日本人社会全体としての精神構造の未熟さ(例えばボランティア精神の気薄さ)によっている部分があるとしても――を感じさせながら も、避けて通り得ない事態になりつつあるという現実に眼を瞑ることはできないように思われる。

巻頭の論壇では、医療問題に深い関心と造詣のある光石忠敬氏が、専門の法律家としての眼を通して、しかもわが国においては劃期的な試み であったある臨床試験の実例に立脚しながら、”患者の承諾”の問題について優れた考察と提案を行っている。文末の註とともにわれわれ医師 にとって裨益するところが少なくない。本誌がそのdistributionの関係で、あまり医師には読まれていないと思われることが非常に残念である。

本誌には6篇の二重盲検試験による薬効評価の発表が掲載されている。そのあるものはいわゆるネガティーブデータであるが、患者を含めた 多くの人々の努力の結晶である臨床治験成績は、例えそれがネガティーブデータであっても、得がたい多くの貴重な情報を含むものであり、単に ある特定の製薬会社に不利だからという理由のみで発表を差し控えるという態度は許されるべきものではないように思われる。最近、本当に 良心的な、そして科学的に厳密な二重盲検試験が行われたのであろうかと疑わしくなる論文に接することがあるが、せっかくわが国にも定着しつつ ある二重盲検試験が、一部の心なき人々のために、形ばかりの、文章上だけの、いわば形骸化することを恐れるものである。現時点では 医の倫理に立脚した関係医師の”良心”に待つ以外にはないとしても、わが国の医療がこれ以上の混乱と荒廃に陥らないようにするためにも、 適当な機構の早急な確立が必要と思われる。(C. N.)

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