編集後記


臨床評価 1976; 4(3): 605より

事故が紛争へ、紛争が訴訟へ、訴訟が判決へと極まってゆくとき、正義の法感情がいつもそのダイナモ役を果すとは限らない。なにかファナティック な、あるときはエキセントリックな情念や、暗いルサンティマンが転化の主役だったりする。そんなとき判決は、具体的妥当を目指しながらも 裁判を拒否することの許されない裁判官の”追いつめられたことば”とはいえないだろうか。

つい先頃、東京地裁の東京スモン訴訟で、可部裁判長の和解案提示とこれについての所見が発表された。スモン発生の可能性を予見すること のできた時期を昭和41年1月のハンソン警告などに求めるとすれば、結果として起こってくる被害者救済の不釣合などを考えると、このような 方法しかなかったのであろうか。

所見は”キノホルム剤についての厚生当局の関与の歴史はその有効性および安全性の確認につき何らかの措置をとったことの歴史ではなく、 かえって何らの措置もとらなかったことの歴史である・・・”と述べ、”・・・関係法規の改正を含む薬害防止の対策につき、とくに国が中心となって 、その体制を確立すること”ということばで和解案をしめくくっている。国の責任について、そのことばは実質的な判決とも評しうるのである。

本号にまたいくつかの貴重なデータが掲載された。4年余にわたる本誌のささやかな歴史と費された厖大なエネルギーは、栗原編集委員の尽力 によって総目次となって結晶している。クロスオーバー法の解析のためのシステム解説書はコントローラー委員会の労作である。

それにしても、薬の情報を公開し、自由に活用できるシステムについて広い角度から”ゆとりのあることば”で語り合い、創り出してゆきたいもの である。”追いつめられたことば”に追いつめられる社会は、イヌがシッポをふるのではなく、シッポがイヌをふりまわす社会なのであろう。(光石忠敬)

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