編集後記


臨床評価 1976; 4(1): 175より

昨年暮れ東京で開かれた世界医師会総会で、医療研究のためのヘルシンキ宣言の改訂が報じられた。本号にはその全文が掲載され、また 二者の論評が寄せられている。この種の内容を単に理念とか建前としか受取らないとするならば、その人は幸せな環境にいるのかも知れない。

しかし過去10年間の、とくに米国における医療並びにbiomedical research、およびその関連領域における活動と論評は熾烈であり、切実であった。 とくに三権分立意識の根ずいた環境でのFDAの活動は、適正な評価を受けながら、なお第四の政府部門の発生を懸念した外部からの批判がある。 それに対し他人の研究を研究する魅力のない、しかも高度の知見識を要する責務と自覚して、わずか20万ドルの費用で作製されたFDAの防衛 論説といわれるCommisioner's Report(FDA, Office of Public Affairs, 5600 Fishers Lane, Rockrille, Md., 20852)に対する最近のScience(Nov. 27 , 1975)誌上の著名記事も、その1つであろう。

Informed Consentに関する論駁は医師の訴訟問題の現実と絡みさらに生々しい。例えばConsent Form作製に当り看護婦の関与の問題に触れた JAMAのeditorial boardと精神科臨床教授との見解と主張(JAMA, Nov. 10, 1975)の相違はその一端を覗がえる。

医薬品の有効性と安全性の追求について費されるエネルギーも膨大なもので、adverse drug reaction(ADR)のほとんどすべての文献を分析した 結果、現時点では定量的結論は引出し得ないとの見解を示し、適正にデザインされた研究の必要性を説いたKarch & Lasagnaの論文に対し、 JAMA editorials(Dec. 22, 1975)はADR numbers gameと称し、遂に次のような言葉で結んでいる。

Until such studies are performed, one can only conclude, "amen"。

医薬品の多様性をふまえて真に有効な、説得性のある評価基準の確立は、医学そのものの歩みの反映であり、不断の積み重ねを必要とする ことが一層強く感じられる。

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