4.4つのレベルの薬籠
WHO必須医薬品モデルリストの選定
―専門家委員会のセクレタリアートとして―
Selection of drugs for the WHO Model List of Essential Drugs
-Viewed from a member of the WHO Expert Committee on Essential Drugs Secretariat-

福井 次矢
京都大学大学院医学研究科臨床疫学

〔臨床評価(Clinical Evaluation ) 2001; 28(3): 499-504より〕


Abstract
  This report describes the actual process of selection of the 11th WHO Model List of Essential Drugs by the WHO Expert Committee on Essential Drugs, which met from November 11 to 15, 1999, at the WHO Headquarters in Geneva. The author is member of the Committee Secretariat.
  WHO staff provided data on each drug being considered for replacement in the Model List. The data, however, were not enough for the Committee to determine the importance of each drug, since there were other factors that had to be considered, such as cost effectiveness and the prevalence and incidence of disease. Because of this, several members of the Committee took the initiative to request WHO staff for more concrete “evidence-based” data on each drug to avoid “consensus-based” decision-making. Almost half of the time was spent discussing the method of selection.
  In Japan evidence-based methods of drug selection have not been developed and because too many kinds of drugs are marketed, the rational use of drugs in the country has not had much progress. Thus, greater involvement in the process of developing clinical guidelines, evidence-based methods of selecting and using drugs, and assessing medical technology would ensure greater success in the rational use of drugs.

Key words
WHO Model List of Essential Drugs, WHO Expert Committee on Essential Drugs, evidence-based medicine, P-drugs, rational use of drugs



 はじめに


 「必須医薬品」(essential drug)とは,2000年WHO発行の“The use of essential drugs. Ninth report of the WHO Expert Committee”によれば 「大多数の人々のヘルスケア・ニーズを満たす医薬品である.それらは,どんなときにも,適切な供給量,適当な剤形で,個人や共同体が入手 できるような価格で利用できるようにすべきである」とされている 1).1970年代には発展途上国において多くの地域の人々が必要な医薬品を入手 できないという状況が認識された.こうしたなか1975年に開催された世界保健総会において必須医薬品についての決議がなされ(WHA28.66), その後WHO専門家委員会(WHO Expert Committee)の審議などを経て,77年に至りこの委員会の報告書であるTechnical Report Series(TRS) の中で「必須医薬品モデルリスト」の第1版が掲載された.ここではWHOにより示されるリストをモデルとして,各国の医薬品政策においてその国の 実情に合わせてリストを作成すべきものとされている 2,3).また,地域や病院単位で,あるいは教育を目的として,限定されたリストを作成しこの概念を 普遍的に応用することもできるとされている 4).モデルリストは当初2〜3年ごと,87年以降は2年ごとに改訂作業が行われ,現在の最新版は1999年 12月に公表された第11版であり,312種類の医薬品のリストが収載されている.

 筆者は,1999年より4年間の任期で専門家委員会のSecretariatの一員として任命を受け,このモデルリスト第11版に収載される医薬品を 選定する審議に参加した.会議はスイス・ジュネーヴのWHO本部において1999年11月15日(月)から19日(金)までの5日間開催された.

 そもそもこのコンセプトが1977年に提唱される際に,WHO元事務総長,当時薬事政策管理課長であった中嶋宏氏が中心的な役割を果たした ということであるが 5),日本人が専門家委員会に参加した事例がないため,選定作業の実情についてはほとんど伝えられていないようである. そこで,筆者はこの選定作業の歴史と概論について熟知しているものではないが,実際に参加した経験を踏まえて,概況を報告したい.


 1. 専門家委員の選定と任命


 WHO専門家委員会の今回の構成は,(1)Members(7人),(2)Representatives of other organizations(12人),(3)Secretariat(8人)からなる. MembersはWHOの6つの地域事務局からバランスをとって選ばれ,Representatives of other organizationsは医薬品に関連する各種NGO など(国際製薬団体連合会から国境なき医師団まで),SecretariatはWHO側から2人,他はTemporary Adviserとして6人という体制である.実際の 作業はTemporary AdviserとしてのSecretariatも,Membersと同様に行う.

 2000年WHO発行のTRSの中では,各国モデルリストを作成する際には「公衆衛生・医学・薬理学・薬学・医薬品管理など各専門家の助言の もと地域ごとに作成,定期的に改訂すべきである」とされている.WHO専門家委員会自体についての選定基準については不明であるが,メンバー 構成については各国のモデルリスト作成の場合と同様と考えてよいだろう.

 筆者の場合は,1998年12月6日(日)に浜松で開催された第1回P-drug workshopに講師として招かれていた当時WHO本部医薬品アクション プログラム医官のHans V. Hogerzeil氏に,京都大学でもP-drugについての講演を依頼し,その際意見交換をしたことが契機となったようだ. 氏とは意気投合する点が多々あったがその後はとくに連絡を取り合うことはなかった.その後数ヵ月して履歴書を送るよう求められ,さらに 数ヵ月経った1999年の夏頃にWHOの担当部署から直接任命の通知を受けて,大変驚いた記憶がある.以来,同年11月15〜19日の委員会 開催までに手続き上の事務連絡などはあったが審議の内容に関する連絡はほとんどなく,現地に入ってから審議の対象となる資料のすべてを 受け取る形になった.


 2. 審議に至るまで


 専門家委員会の構成員は以前から継続している者も含んで先進国・発展途上国など世界各地からバランスよく参加しており,職種としては 内科医・その他の医師・薬剤師・研究者など,専門領域としては薬理学,臨床薬理学,臨床疫学などさまざまで,3分の1ほどが女性であった.

 途上国における医薬品のニーズについて筆者の予備知識は十分なものであったとはいえないが,現地では膨大な量の資料を渡され,委員は 皆ほとんど夜を徹して読むことになった.その内容は,10版から11版へと改訂される際に入れ替えることを検討される薬剤についての個別の 資料であり,臨床データ,公表された論文など薬剤によってさまざまであった.モデルリストに入れてほしいという企業からの申請もあり,あるいは 事務局によって用意された資料もあった.新たに検討された中には,ニコチン,スタチン系の薬剤など主として先進国で使用されるものもあった. これらの資料は企業からの申請も含めてWHO事務局でそろえたものであり,会議においては数名の担当官が,改訂を検討される個別の薬剤に ついての説明を行った.

 委員に直接与えられる情報としては上記のようなものに限られ,途上国の医療環境の実情や医薬品の流通事情などについての情報はなく, 公式メンバーとWHO職員以外の外部との意見交換の機会などは設けられておらず,薬剤の資料についてのみの検討という形であった.


 3. 審議の方法についての議論


 5日間の日程のうち前半は,ほとんど選定方法についての議論で費やされた.TRSの中で各国におけるモデルリスト作成の手順として記載 されているようなevidence-basedな選定方法とは言い難く,consensus-basedで決定されてきたというのが実情のようである.筆者を含めて 3人の臨床疫学を専門とする者以外は,従来どおりの方法にそれほど違和感を唱えていなかったが,個別の薬剤について1つ1つ質疑が なされていくうちに,あまりにも拠るべきevidenceが少ない状況下での疑問が繰り返されるため,選定方法を検討する必要があるということになり, 1日目の午後と2日目,3日目はほとんど選定方法についての議論となった.

 自国で40ほどの診療ガイドライン作成に関与してきたという,スコットランドのProfessor J. C. Petrieは“GOBSAT”という表現を使って従来の 選定方法が旧態依然としたものであると批判を繰り返した.これは“Good Old Boys Sitting Around the Table”の略で,人の良い高齢の専門家 (good old boy)たちがテーブルの周りに座って何か意見を言えばそのとおりに物事が決まっていく,という意味である.そして,“KISS”すなわち“ Keep It Simple and Sensible”,簡潔・明瞭に,誰にでもプロセスがわかるようにすることこそEBM(evidence-based medicine)の実践であると主唱し, 次第に「GOBSATではだめだ,KISSでいこう」と委員の意見がまとまっていった.

 資料は机に山積みとなるほどで,すべてを読んで個々にデータに基づいて吟味していく時間はなく,abstract formやevidence tableを作成して 議論すべきこと,そして審議の手順の改革については,今回の会議では無理でも次回の会議には必ず実現してほしいことなどが提案された.

 EBMの手順を踏まえるならば,まずapplicationを受けてから,その薬剤についてのcomprehensiveなliterature searchを行う.検索をした年月日, 対象としたデータ・ベース,検索式,抽出した論文の件数などを明らかにする.文献のデータは特定のフォーマットで記載する.つぎに,動物実験の データ・臨床試験のデータ・日常診療のデータなどの分類,また試験デザインの分類ごとに個々のデータをまとめ,さまざまなレベルにevidence の仕分けをする.加えて,社会経済状況や医療システムの異なる国々での薬剤適応症の罹患率や発生率といったベースライン・リスク,コストな どのデータが提供されるべきであろう.これらのファクターが明確にされ,データが提示されて初めてevidenceに則った決定といえるはずである.

 現WHO事務総長のGro Harlem Brundtlandは1998年7月の就任後,新たな体制作りを行い,9つのクラスター(cluster,プログラム群)を設け その1つを“evidence and information for policy”とした 6).しかし,ここでいう“evidence”は,1990年代に入って用いられるようになったEBMの中で いわれるより広い概念を包含するようで,医療技術評価で用いられるEBMの手法そのものが,WHO内部,さらに今回の委員を含め世界の 保健従事者に充分に浸透していくには,なお時間がかかると思われる.また言語のバリアもあって,英語を母国語と同様に使って議論に 参加することが難しい委員も少なくなかった.全体で,頻繁に発言をしていたのはメンバーの4分の1ほどであった.


 4. 個々の薬剤についての議論


 必須医薬品モデルリストの選択基準は,1995年の9th listで用いられたものでは以下のようになっている.すなわち,@優勢な疾患パターンとの 関連性 A立証された有効性と安全性 B様々な状況下での使用に基づく妥当な科学的データとエビデンス C適正な品質 D優れた費用 対便益比 E理想的な薬物動態特性と現地生産の見込み F単剤での入手可能性 などである.これはリストの各版の作成ごとに若干変更に なっており,10th,11th listでは,@優勢な疾患パターンとの関連性 A医療施設 B就業できるスタッフのトレーニングと経験 C財源  D遺伝学的,人口学的,環境的要因 となっている.

 しかし,個々の薬剤についてこれらの項目を検討しながら調達・配送の改善,適切な処方,コスト削減といった課題も視野に入れて審議する にはデータが不十分であった.

 スタチン系の薬剤についてはとくに議論が紛糾した.先進国ではプライマリレベルで有効だが,心筋梗塞の頻度が低い途上国にとっては 価格も高く,必須とはいえない.この議論にあたり,先進国と途上国の罹病率の違いや人口比など客観的なデータが不足しており,各自が それぞれのイメージに基づいて討議しなければならず,実際のところこの薬剤についての議論が,前述したような選定方法についての根本的な 議論につながったのである.結局,公表された第11版においては正式な収載はされず,Section 12:cardiovascular drugsのうち 12.6 lipid-lowering agentsとして囲みに入れ,専門家委員会はスタチン系の薬剤の価値を認めたが多くのスタチン系薬剤のうちいずれを収載 するかを決定できないためリストには収載しない,リスクの高い患者に対してどの薬剤を使用するかは各国のレベルで決定すべきである, といった趣旨の記載がなされる形となった.

 ニコチンについても,禁煙に導く上での有効性は証明されているが対費用効果を勘案すると先進国には必要であっても途上国においては 他の疾患と比較して重要性が少ない,ということで最終的には収載されなかった.

 Section 3:antiallergics and drugs used in anaphylaxisのepinephrineの後にカッコに入ってadrenalineの記載が加えられたのも今回初めての ことであった.この成分名の由来についてはオクスフォード大学の教授によるレビューが提出された.高峰譲吉が発見したadrenalineと後に アメリカ人が発見したepinephrineとは異なる成分で,adrenalineのほうに正当性があるにもかかわらず同様に扱われepinephrineという成分名 になっているのは正当でない,というのがその教授の主張である.そうした事情を勘案すべくWHOの事務局が持ってきたようだが,結果としては epinephrineがadrenalineに入れ替わることはなく,adrenalineのほうがカッコ入りの記載となって公表された.

 委員会が終了した後には,作業の進行状況などについての事務連絡のみ電子メールなどで送られてきたが,選定手順について,あるいは 個々の薬剤についての補足の議論が行われることはなかった.次回開催についての連絡も現時点では受けていないが,例年どおり2年ごとの 開催ということであれば,2001年内に開かれることになるだろう.


 5. 日本における応用の可能性


 WHO加盟国193カ国のうち,必須医薬品リストがありしかも5年以内に改訂されたリストをactiveに用いて医療政策を行っている国は86カ国, リストはあるが5年以内に改訂されてない国は55カ国,独自のリストを持っていない国は52カ国であるということが会議の間に伝えられた. リストを持っていない52カ国のほとんどは先進国とのことである.

 1999年12月に公表された必須医薬品モデルリスト第11版は312種であるのに対して,日本においては成分として3,000余り,剤形・用量・市販名 などの違いを考慮すると17,000品目に近い医療用医薬品が存在する.必須医薬品の考え方を先進国においても応用すべきだという議論は これまでにも起こってきているが,その論点は以下のようにまとめることができよう.

・不必要な医薬品の開発を制限し,医薬品の合理的使用に結びつける
・EBMの立場からevidenceに基づくものを選び,evidenceに基づいた方法で使用するとなると,薬剤の数は自然と限られてくる
・医療経済学的見地から,医療費の抑制につながる
・薬剤の種類を減らすことは誤投与などの事故防止につながる
・途上国と先進国との医薬品供給のアンバランス,不平等を是正する

 必須医薬品のコンセプトの根底にあるのは,evidenceに基づいた合理的な使用ということになるが,臨床分野によっては日常的に使う薬剤の 種類は数10種類であり,1人の医師が副作用についても熟知して使いこなせる薬は100種類もないであろう.

 承認のレベルではなく保険収載のレベルで点数に差をつけることによって,実質的に使用される薬剤が,安価でしかも有効性が確認されている 薬剤へと限定されていく方向へ誘導してはどうか,という意見もある.漢方薬などの代替医療(alternative medicine)で科学的な評価がなされて いない薬剤もあるのが日本の現状であるが,それは論外としても,通常の医薬品についても有効性の確認が科学的妥当性をもって行われない まま,効果の劣る医薬品が市場に多数出ているという現状は改善されるべきであろう.

 また,医師の教育においては,一人ひとりの医師が最低限知っておくべき薬剤をリストアップし,とくに研修医は自分が熟知して十分使い こなせる薬剤のリストを作成する,といった習慣を身につけることは大きな意味があると思う.現在,日本の医学教育ではごく一部の大学を除いて 学生に必須医薬品やP-drugの概念を教える状況にない.筆者の教室では,EBMの見地からオーソドックスではない薬剤はできるだけ使わず, 使用する薬剤の種類を少なくする方針で教育している.


 6. 診療ガイドラインとの相互関係


 必須医薬品リスト,処方集,治療ガイドラインは相互に依存しており,系統的に作成されるべきものとされるが 4),専門家委員会に参加した経験 から,モデルリストの作成手順に求められるものと,現在日本でも議論がなされてきた診療ガイドラインの作成・評価の手順とには,多くの共通 項が見出される.厚生科学研究の一環として,国立公衆衛生院所属の丹後俊郎氏と筆者との連名で記した指針「診療ガイドライン作成の手順」 においても,根拠を明示しないでコンセンサスに基づく方法はできる限り採用しない,ということを基本原則の1つとしている.この指針は厚生省から 厚生科学研究として,診療ガイドラインを作成中の各学会の担当者に配布させていただいたが,ライフメディコム社より2001年6月刊行の 『臨床検査とEBM』に収載されている 7)

 この手順には,作成されたガイドラインは評価を受け3年を目途に改訂の必要性を検討すべきことも明記している.評価の方法は2種類あり, 1つは作成された診療ガイドラインの内容について作成委員以外の外部評価をEBMの手法に沿って受けることである.もう1つは,作成された ガイドラインが実際に医療機関で使われた結果,医師の診療行為が改善されたか,または最終的な患者の健康アウトカムが改善されたか どうかを検証することである.このような評価は,必須医薬品モデルリストについても共通するものであろう.


 おわりに


 必須医薬品選定の会議における質疑応答の中でも明らかにされたが,WHOのモデルリストが作成されることによって,各国ではそれを反映 した必須医薬品リストが作成され,それぞれの国の医薬品政策,ひいては地域の人々への医薬品の供給,さらには実際の治療行為がどの ように変化したか,が検証されることが重要である.国のレベルで,リストに収載された薬剤については国民にその提供を保証しようとする政府 もあり,また製薬企業もリストに収載されたということで流通をスムーズにするよう努力するケースもある.このように医療の現場が末端まで改善 されて初めて意味を持つといえるだろう.逆にいえば,エンドユーザーが患者のアウトカム改善を常に視野に入れて,それぞれのレベルにおいて EBM>の手法に基づいて「薬を選ぶ」ことが求められる.


 謝 辞
 本稿作成にあたって協力いただいた,当時東京医科歯科大学難治疾患研究所・情報医学研究部門(臨床薬理学), 現・東京大学大学院薬学系研究科医薬経済学講座,津谷喜一郎氏に謝意を表する.

 
文 献

1) WHO Expert Committee on the Use of Essential Drugs. The use of essential drugsninth report of the WHO Expert Committeeincluding the revised Model list of essential drugs). Technical report series 895. Geneva:WHO 2000.
2)津谷喜一郎.薬と国際保健.In;津谷喜一郎,仙波純一(編).薬の歴史・開発・使用.放送大学教育振興会2 000;144-60.
3)津谷喜一郎.「WHO必須医薬品モデルリスト」について.臨床評価 2000;27:599-600.
4)松本佳代子,丁元鎮,斉尾武郎,津谷喜一郎(訳).必須医薬品の選択.臨床評価 2000;27:579-98. 〔原本:Management Sciences for Health in collaboration with the World Health Organization. Managing Drug SupplyThe Selection, Procurement, Distribution, and Use of Pharmaceuticals, 2nd ed. West Hartford, Connecticut, USA:Kumarian Press;1997.〕
5) 斉尾武郎,栗原千絵子,松本佳代子,丁元鎮.必須医薬品の歴史と医薬品の合理的使用の今日的課題.臨床と薬物治療 2001;20:85-9.
6) World Health Report 2000. Geneva:WHO 2001.
7) 福井次矢,北村聖,三宅一徳(編).臨床検査とEBM.ライフメディコム 2001:21-7.


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