臨床評価 1998; 26(1): 129より
本号には比較試験成績は掲載されていないが、原著2、資料2、座談会1、話題1と、どれも臨床評価に関係する者にとって見過ごす ことのできない論文ばかりが掲載され、充実した号となった。比較試験の掲載がないのは、その論文のすべての質が保証しうるもの でなければ受理しないという本誌の方針を頑なに守っているからでもあろう。
本号の資料の一つである「臨床試験の一般指針」は、本来各論的な他の指針の前に作成されるべきものであった。この指針には 25年来、折に触れわれわれが本誌で主張してきた精神が当然十分取り入れられている。日本では知的な創造の独創性を認め、 それを尊重する風習が少ないのではなかろうか。二重盲験試験はデータの信頼性なくして成立しない。試験薬剤の成分・規格の 保証、薬剤の割り付けなどに始まり、データの固定、統計処理・論文作成、ネガティブ成績でも掲載するというすべての質の保証が 必要である。一つの二重盲験試験の質はその最低レベルのものとなる。これらのすべてについて精密かつ具体的に質を保証する 第三者システムを構築し実行してきたのが25年に及ぶコントローラー委員会のメンバーである。現在この精神はどの治験にも 活かされていると信ずるが、実施にあたって現場での当惑の声は大きくなるばかりである。
本号は「・・・・・・1施設の症例数は何例くらいが妥当か」「・・・・・・人権を保護しつつどのようにして被験者を確保するか」「・・・・・・新 GCPのもとでどのようにしたら積極的に治験を行い得るか」「・・・・・・どのような前臨床安全性試験があればヒトに初めて投与しうるか」 などの疑問の解決の手がかりを与える論文で充実している。さらに医薬品の真の評価の困難さを考え直すには「・・・・・・脳循環改善 薬の予後予測」という原著が重要な意味を持ち新しい解析法の提案も行われている。少なくとも精神症状改善度よりみて、この関連 薬剤が有益であった患者の層が探索的ではあるが明確にされている。
エビデンスに基づく医療という言葉は流行語であるが、エビデンスなしに医療を行っていたのではなく、そのレベルの向上を期待しての 動向と理解したい。日本で長期臨床試験が行われ難い多くの因子を考えない限り、このエビデンスは当分輸入品でありそれが日本人 の医療の標準である現状からは脱却できないであろう。(N. S.)