編集後記


臨床評価 1996; 24(Sup.]): 247より

 本号は2つのガイドラインに関する特集号である.巻頭に担当した上田の紹介がある.

 サプルメントには編集後記をつけない習慣のようだが、本誌の製作場所が、この号から@篠原出版(株)→A(有)デジタルプレスと変更になる.この雑誌の最初(正確には第3巻)から編集を手がけた杉本隆之氏が、@を定年退職しAを設立したための移動で、編集製作などの方針は従来通り変更がないことをお知らせしておきたい.

 ICHに関する本号の分厚いガイドラインを見ると、正直なところ複雑な心境になる.

 関係各位のご努力がこれだけ精緻なものに結晶したという感動と、さらに患者の人権のため努力せねばならぬ義務感が第一.それと同時に医師患者の間のナイーブな人間関係がますます臨床治験から失われないかという危機感が第二である.

 編集委員会の意見とはまったく無関係に、主として第二に関して個人的な感想を述べることをお許しいただきたい.
@インフォームドコンセントは、日常診療でも患者に情報提供しつつ医師が継続的に努力して求めるべきもので、治験はむしろその特殊ケースにすぎない.現在の保険医療の枠組みはそのままで、一回だけサインすればお終いといったアメリカの弁護士会的な契約概念を、日本の医療場面にもちこむことが妥当だろうか.
A患者の人権保護vs.薬剤提供者の法的防衛という、利害がときには合致し、ときには逆行する概念が整理されぬまま臨床に持ち込まれている.そのため瑣末な形式主義が横行している.薬剤の生体反応を緻密に観察することなど、そっちのけである.
B社内監査が無意味に厳しくなった.ある治験の際に聞いたことだが、治験期間が延長したため、いくつかの国立大学で契約更新のため空白期間ができた.その期間の症例はGCP違反だから治験から除外すべきだという意見があったらしい.形式主義で自己の権威を守ろうとすれば、貴重な情報が無視されてゆくのである.
C治験が難しくなれば、あいまいな基準で許可された薬がいつまでも生き延びる.再評価試験も有意差を出さないためにぼう大なものになり、資源が無意味に浪費されてゆく.

 厚生省・製薬会社・患者の関係を、不躾にも狐拳にたとえれば、患者団体が厚生省を責めれば、厚生省は薬業界に厳しくなる.製薬会社は電話帳のように分厚くなった治験ノートの経費を薬価上げで回収して、それが患者にはねかえるという構図が見えてくる.

 「一事を省くにしかず」というのが、私の感想である.(栗原雅直)

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