臨床評価 1995; 23(3): 653より
本号には前号にひき続いて、GCPに関するアンケートの集計結果が資料として掲載されている.これを読むと、わが国の主な医療施設の治験関係者の見解や批判がうかがわれて興味深い.インフォームド・コンセント(IC)を含む治験現場のもろもろの問題が具体的に指摘されているが、治験総括医経験者達の意見はさすがに的を射たものが多く、建前論もあるが、困惑や悲鳴に近い本音も聞こえてくる.
筆者は勤務先の病院でかなり長い間、院内の治験審査委員会の責任者として治験の現場にかかわって来た.GCPが制定されてからは、それに則した審査体制や手続きの整備に努めたが、最も苦心したのはGCPの核心ともいうべきICの理解と実行を指導することであった.厚生省や日本医師会などのキャンペーンもあって、理念としてのICはかなり浸透してきてはいるが、それを具体的に実施しなければならない治験の現場では現在もなお逡巡や困惑があり、時には抵抗もある.
ICは本来、医師と患者の間の十分な意思の疎通とそれに基づく相互の信頼関係を前提にしている.治験となると、それらの一層の徹底に加えてさらに、患者のボランティア精神、奉仕の精神ないしは善意が必要である。これらの要件を充たしてICを取得することがわが国ではいかに難しいかは、治験の現場を自ら体験したものでなければ理解できないであろう。治験をとりまく環境に問題が多過ぎることもあるが、ボランティア精神に乏しいという日本人の国民性にも一因があると思われる.
「阪神・淡路大震災では多くのボランティアが活躍したではないか」という反論もあろう.確かに若い年齢層にはそうした動きが見られるが、患者の大多数は中・高年の人達である.治験という臨床実験に無報酬で参加しても良いと決めることは、この年齢層の患者にとってはかなりの勇気と決断が必要である.いずれにしても、社会的慣習と幼時からの信仰や教育に裏打ちされた欧米人のボランティア精神と比べて、日本人のそれが遥かに及ばないことは明白である.
最近、わが国の治験の質の低さが懸念され、査察の強化やGCPの法制化なども論議されるようになった.日米欧の三極間の承認審査ハーモナイゼーション会議でも協調GCP(ICH−GCP)の策定が進められ、治験担当医の責任の強化も検討されているようである.これらの動きを見ていると、空洞化したといわれるわが国の治験の現場がこうした風圧に耐えられるかどうかが心配になる.ICH−GCPが日本にとっては高すぎるハードルにならなければ良いがと思う.建前と現実の落差に途方に暮れるのはいつも、現場の若くて真面目な治験担当医達だからである.(山本皓一)