編集後記


臨床評価 1994; 22(1): 191より

手前味噌になるが、本号にはいろいろ重要な情報がつまっている。

まずFDAのR.Temple氏をはじめとする4氏と日本側の専門家による座談会の記事がある。関係者の一員として、「相互理解」とは何か、 また言葉による「伝達」はどこまで可能かについて考えさせられたことを述べておきたい。

会の雰囲気はきわめて友好的であったが、日本側が主として薬効評価になぜ「有効性」が必要かについて力説したに対し、アメリカ側は 「プラセボ」が客観評価に必要だという主張を繰り返したことは、本誌にも見るとおりである。

話された言葉やその翻訳をあとでふり返って見ると、論理が通っているようでもあり、ないようでもある。しかしその場に居た者は、 言葉の表面上の意味よりも、熱気によってお互いが理解しあえたという印象だった。「有用性」の問題も、「プラセボ」が必要である ということも、それぞれの国の状況の中で、いかに薬効評価を「客観化」させるために必要であるのか、熱気のうちにお互いに感得し あったという印象が強かった。

最近あらゆる分野で国際化が進んでいるが、たんに英語国民の論理に無原則的にすりよっている印象がつよい。この座談会では 相互の論理に対する評価と敬意とが感じられたので、快かったのである。

会食後のしめのときに、「個人ごとの有用性評価というわれわれの主張を、非関税障壁だと非難しないでくれ」とオチの挨拶をしたら、 みな大爆笑になった。

結局、言葉というものは、逐語訳よりも、場をともにして意識を共有することによって、はじめて伝達されるのである。

その意味において、金子好宏氏らによって企画され、コントローラー委員会が協力して展開されつつある高血圧治療のPMSは、まさに わが国の現状において、必要なときに必要なことが出されたものだと力説しておきたい。パソコンネットワークを通じて、臨床家と センターとの間に対話が成立することによって、はじめて薬剤による治療の客観的評価が可能になるのでないだろうか。

JMBD研究会による軽症本態性高血圧の長期治療に関する研究も、この領域で現実に行われている治療の時間に臨床試験の時間を 近づけ、客観化を試みたという意味で意義が大きい。

大森義仁氏の監訳によるFDAの指針(案)も、いかなる点についてFDAと臨床家たちが対話するかということを、われわれに垣間見せて くれている。(栗原雅直)

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