臨床評価 1993; 21(2): 333より
このほどsummary basis of approval(SBA)が実施に移されることになった。前臨床の試験成績を含め、臨床試験の内容もかなり 詳しく公開されることになる。臨床試験に不備や欠点があると、そのままでは公開に耐えるsummaryができないので、勢い審査が 厳しくならざるを得ない。臨床試験の理念と質の向上が要求されることになる。とくに客観性の高いプロトコールの作成と、その 客観的運用が大切な作業であろう。これからの臨床試験ではエンドポイントがより 明確でなければならず、結果の評価にあたっても、 何をどのように評価するのかが、初めから明確かつ具体的にされており、より客観的に判定されるように計画されていなければ ならない。
「有用性」の是非についての議論が盛んであるが、「有効性」や「改善度」、「安全性」などの他の尺度についてもこの際、思い切って 見直す必要があるのではないだろうか。「有用性」については要、不要の側面から論ぜられることが多いが、問題はその運用にある。 「有用性」の定義や意味、意義がきちんと定めれていて、それが正しく運用されれば、有意義な判断基準となる。現状のように「有用性」 マイナス「副作用」的な理解のされ方ではあまり意味がない。
「改善度」についても、著明改善、中等度改善、やや改善、不変、悪化、著明悪化などと層別化され、改善度何パーセントと数値化され、 いかにも客観的なものであるかのように表現されて来た。しかし、その中身を見ると、統一の判定基準が規定されておらず、主治医の 主観的判断に委ねられているプロトコールが大部分である。これではSBAには耐えられない。委員会判定なるものを設けているものも あるが、これにも明確な判定基準が設定されておらず、結果を見てから基準を作っている例もある。「有効性」にいたっては、もっと 判定基準が曖昧である。「有用性」の場合同様、明確で客観的な判定基準を作ってから試験を開始しないと「改善度」も「有効性」も 形式だけになってしまい、正確な臨床評価はできない。このあたりが、現在の日本の臨床試験の最も遅れているところのように 思われてならない。
日本人の特性として、あまり厳格にせず、ファジーな部分を残し、他とのバランスを考えながら判断するところがある。対人関係はその方が スムーズに進行するが、科学の場では必ずしもそうではない。最近はこの点に対する反省も見られ、ずいぶん洗練されたプロトコール が出て来た。SBA時代を迎え、世界に通用する臨床試験がますます増えるものと期待される。
臨床評価の国際化も徐々に進んで来ている。「有用性」など日本特有の評価方法の利点を生かしつつ、国際化を進める方法を模索 して行きたい。(S. K.)