疫学研究の倫理審査のための国際的指針

国際医科学評議会
1991年ジュネーブ


International Guidelines for Ethical Review of Epidemiological Studies

CIOMS Geneva 1991
訳 光石忠敬

臨床評価 1992; 20(3): 563-75.
1.背景の解説と謝辞

国際医科学評議会(CIOMS)は、多年にわたり生命倫理の分野で活動している。ことに、数年間の協議の後、1982年に、人間を対象とする 生物医学研究についての国際的指針案を発表した。この指針案は、世界医師会が1964年に採用し、1975年、1983年および1989年に改訂した ヘルシンキ宣言の諸原則を、とくに発展途上国において適用するためのものである。この指針案の改訂版は1992年に発表される。

疫学研究の範囲と方法は、個人や地域社会についてのデータの収集・蓄積・使用可能性の絶え間ない拡大の故に、そしてまた、個人の権利・ 自由と社会のニーズとの間の不可避の緊張の故に、その濫用の危険について社会の懸念が表明され、含まれている倫理問題の検討が要請 されるという結果をもたらした。疫学研究のための特別の倫理指針が必要であることは、ヒト免疫不全症ウイルス/後天性免疫不全症候群 HIV/AIDSの蔓延と、世界中の多くの地域で多くの研究対象者についてのHIVワクチン候補や治療薬の臨床試験の開始とによって、強調されて いる。

各国および国際的な、疫学者の専門職業協会は、これらの倫理問題を吟味し、いくつかのグループは、倫理指針を系統立てて作り出し始めて いる。しかし、疫学研究およびその実践についての国際的な倫理指針は未だ作成されていない。CIOMSは、疫学研究によって引き起こされる 倫理問題を国際レベルで扱う明らかな必要性に鑑み、世界保健機構WHOと共同して、1989年、そのような指針を作成する計画に着手した。 最初の草案は、多くの国々や機関の専門家との一連の広範囲にわたる協議に基づき準備された。その草案は、1990年3月、疫学研究につい ての国際的指針作成計画のためCIOMS運営委員会の第一回会議で検討され修正された。また、同年8月、国際疫学会が組織する、倫理、 保健政策および疫学についての国際ワークショップによって再吟味された。

受け取った論評および提案を考慮して、次の草案が推敲され、論評を求めて広く配られた。それが1990年11月の第25期CIOMS国際会議の 主なテーマであった。会議は、35カ国から多様な背景を代表する110名の参加者の出席を得て、諸問題を広範囲に網羅する一連の論文を 審理検討し、指針のさらなる推敲と修正のための有益な論評と提案を行った。この会議の後、運営委員会は作業を続け、1991年7月に会合し、 現在のテキストを承認し、それを発表し広く配ることを勧めた。運営委員会は、指針を実践の中で試し、適当な期間をおいて後、経験に照らして 改訂する必要性を強調した。

指針は、各国が、疫学研究と実践の倫理について国の政策を策定し、それぞれの国の明確なニーズに備えて倫理基準を採用し、疫学研究の 倫理審査のための適切な機構を設立することができるように意図されている。

疫学研究についての倫理指針を系統立てて作り出すことが、日常の疫学研究や実践で遭遇するすべての道徳的な曖昧さを解決するものでない ことは認められている。しかし、指針は、いくつかの有用な目的を達成し得る。指針は、専門職業上の行為の倫理的な意味を考える必要がある ことに一般の注意を引くことができる。そのようにして指針は、人道にかなった態度と研究の質との双方に関して高い専門職業の基準を導くことが できる。

指針の準備に貢献した多くの方々のうちで、次の方々はとくに注目に値する。Bernard Dickens教授は、指針草案の保管者で、草案を1990年11月の 会議を通して次の草案に導き、最終の運営委員会を切り抜けさせた。John H Bryant教授は、その会議の副議長、運営委員会の委員長を勤め、 会議での検討の要旨を用意された。John M Last教授は、1990年11月の会議の副議長を勤め、指針の準備と最終草案づくりに大変な助力を 惜しまなかった。Laurence O・Gostin教授とFrank Gutteridge氏とは、計画の発端から指針準備の最終段階まで積極的に貢献された。James Gallagher博士にも、指針の最終草案づくりと編集への貢献に対して格別の感謝を捧げたい。

この指針に対する論評を歓迎する。宛先は下記のとおり。


Zbigniew Bankowski, M.D. Secretary-General, CIOMS
c/o World Health Organization CH-1211 geneva 27, Switzerland


2.序

この指針は、研究者、保健政策立案者、倫理審査委員会委員、および疫学に伴う倫理問題を扱うべき人々向けのものである。指針は、疫学研究 についての倫理審査の基準を確立するのにも役立つかもしれない。

指針は、疫学研究が倫理基準を遵守するのを確保するための関心の表現である。この基準は、指針が取り扱うタイプの活動に従事する者すべて に適用される。研究者たちは、研究の倫理的完全性(ethical integrity)について常に責任を負わなければならない。

疫学とは、健康に関連する状態または出来事の特定の集団内における分布と決定因子を研究し、またその研究を健康問題の対策に応用すること、 と定義される。

疫学は、今世紀、人類の健康状態を大いに改善した。それは、健康に対する多くの身体的、生物学的、行動学的な危険についてのわれわれの 理解をはっきりさせた。得られた知識のあるものは、汚染された水を飲むことによって起こる病気のように、健康に対する環境上および生物学 上の脅威を制御するのに応用された。他の疫学の知識は、人々の文化の一部となり、価値観や行動様式を変えさせ、健康の改善に寄与した。 その例としては、個人衛生、喫煙、心臓病との関連での食餌療法および運動があり、また交通事故による死傷を減らすためのシート・ベルトの 着用などがある。

疫学の実践や研究は主として観察に基づいており、質問することと通常の医学的検査をすること以上の身体的干渉を必要としない。実践と研究 は、例えば、癌の日常的なサーベイランスと癌についてのオリジナルな研究が共に住民ベースの(population-based)癌登録の専門家スタッフに よって行われるように、重なり合う。

疫学研究には、二つの主なタイプがある。すなわち、観察的研究と実験的研究とである。

観察的疫学研究は三つのタイプに分けられる。横断研究(cross-sectional study;いわゆる調査survey)、ケース・コントロール研究(case-control study)そしてコホート研究(cohort study)である。これらのタイプの研究は、研究の対象者に最小のリスクを伴うだけである。質問すること、 医学的検査、時に研究室での検査またはX線検査をすること以上の身体的干渉はない。研究対象者のインフォームド・コンセントは通常要求 されるが、例えば、専ら医療上の記録を調べることによって行われるきわめて大規模なコホート研究のような幾つかの例外もある。

横断研究(調査)は、ふつう、集団の無作為標本について行われる。研究対象者は、質問され、医学的検査をされ、あるいは研究室での検査を 受ける。その目的は、集団の健康の様相を評価し、または考えられる病気の原因もしくは疑われるリスク要因についての仮説を検討することで ある。

ケース・コントロール研究は、特定の症状にある患者たち(ケース群)における過去のリスクへの曝露の歴史を、年齢や性などの点でケース群と 似ているがその特定の症状にない人々(コントロール群)における過去のリスクへの曝露の歴史と比較する。ケース群とコントロール群とにおける 過去の曝露の異なる頻度は、原因ないしはリスク要因についての仮説を検討するために統計的に解析されうる。ケース・コントロール研究は、 ケースの数が少なくても実施できるので、稀な(健康)状態についての仮説検定のために優れた方法である。この研究は、一般にプライバシーの 侵害ないしは守秘義務違反を伴わない。ケース・コントロール研究で研究従事者と研究対象者の直接の接触が必要な場合には、研究参加への インフォームド・コンセントが必要である。医療上の記録の検討のみの場合は、インフォームド・コンセントは必要とされないし実際に実行不可能 であろう。

コホート研究は、縦断的研究または前向き研究としても知られているが、そこでは、疑われるリスク要因に対し異なった曝露水準にある諸個人が 特定され、相当な期間、ふつうは何年間か観察され、興味のある(健康)状態の発生率が測定され、曝露水準との関連で比較される。これは横断 研究やケース・コントロール研究より頑健な(robust)研究方法であるが、長期多人数の研究を必要とし、費用もかかる。ふつう、質問と通常の 医学的検査を要するのみだが、ときに、研究室での検査を必要とする。インフォームド・コンセントが通常は要求されるが、連結された(linked) 医療上の記録を用いる後ろ向きコホート研究の場合はこの例外である。後ろ向きコホート研究では、初期または基準時点の観察は、X線、処方薬 または職業上の危険など詳細が知られている潜在的に有害な病因への何年も前の曝露に関連するかもしれない。最終またはエンド・ポイントの 観察は、しばしば死亡証明書から得られる。対象者の人数は大変多く、何百万人にもなろうから、かれらのインフォームド・コンセントを得るのは 実行不可能であろう。研究されるそれぞれの個人を正確に同定することが大切で、これは、記録連結システムの中に構築されている結合のため の手法によって達成される。統計表に集計されるための個人の同定ができた後、個人を同定するすべての情報は抹消され、従って、プライバシー と秘密は守られる。

実験とは、研究者が制御された条件下に一つまたはそれ以上の要因を意図的に変更し、そのように変更することの効果を検討する研究である。 疫学的実験の通常のやり方は、無作為化比較対照試験であり、予防もしくは治療法または診断法を試みるために行われる。人間を対象とする そのような実験は、そのような方法についての純粋な不確実性が存在しなければ、そしてその不確実性が研究によって明らかにされ得るので なければ非倫理的である。

このようなやり方の実験では、通常、被験者は無作為にグループ分けされ、実験される治療法または診断法を一つのグループは受け、他の グループは受けない。実験は、二つのグループの結果を比較する。無作為割り付けは、二つのグループ間の比較の妥当性を破壊しかねない 偏り(bias)の効果を除去する。少なくとも幾人かの被験者に害が生じることは常にあり得るから、被験者のインフォームド・コンセントは不可欠 である。

疫学は、新しい挑戦と機会に直面している。大きなデータ・ファイルへの情報技術の応用は、疫学研究の役割と能力を拡大した。エイズ流行とその 制御は、疫学研究に新たな急務を課している。公衆衛生当局は、HIV感染の広がりをモニターし制限する目的の下にHIV感染の有病水準を立証 すべく集団のスクリーニング研究を用いている。行く手には、分子生物学と集団遺伝学の協力から生じる挑戦のような全く新しい挑戦が待っている。


3.前 文

生物医学研究の一般的なやり方は、ニュルンヴェルク綱領や世界医師会のヘルシンキ宣言(第4改訂版)を含む、国際的に承認された人権原則 のステートメントによってその道が示されている。これらの諸原則は、国際医科学評議会(CIOMS)の人間を対象とする生物医学研究についての 国際的指針案(1982年)の基礎にもなっている。これらおよび各国の類似の綱領は、臨床医療モデルを基礎としており、しばしば患者たち、または 被験者たちの利益を扱っている。疫学研究は、人々のグループに関わっており、これらの綱領は疫学研究の特徴を十分には取り扱っていない。 疫学研究の提案は、倫理の立場から、独立に審査されるべきである。

倫理の問題は、例えば、個人の権利と地域社会のニーズの衝突のように、競合する諸価値の衝突の結果として、しばしば起こる。これらの指針を 遵守しても疫学研究におけるすべての倫理問題を避けることにはならないだろう。多くの状況において、研究者、倫理審査委員会、行政、 保健従事者、政策立案者、そして地域社会代表による注意深い検討と、情報を与えられた上での判断が必要である。発展途上国における外部 スポンサーによる疫学研究は、特別な留意に値する。これらの指針の適用の骨格は、研究の実施が提案されるそれぞれの管轄区域における 法律や慣行によって定められる。

倫理審査の目的は、提案されている研究の性質を倫理の諸原則に照らして検討し、起こり得る倫理上の異議を研究者が予測し満足にこれを解決 することを確保すること、および研究によって引き起こされる倫理問題に対する研究者の対応を事前に評価することである。すべての倫理原則に 等しい重みがあるわけではない。例えばデータの秘密保持など通常の倫理的な期待に包括的に沿わないときでも、見込まれる利益が明確にリスク を上回り、かつ研究者がリスクを最小にすることを確約するときは、研究は倫理的と評価されるかも知れない。研究を拒否することが一つの地域 社会に対しその研究がもたらす利益を否定することになる場合は、その研究の拒否は反倫理的ですらあるかもしれない。倫理審査の課題は、 見込まれるリスクと利益を考慮に入れて事前評価すること、そして倫理審査委員会のメンバー間での合理的な相違点につき決定することである。

同じ問題または提案について異なる倫理審査から異なる結論が出てくるかも知れない。それぞれの結論は、さまざまに異なる時と場所の状況下で 倫理的に出されるだろう。一つの結論は、何が決められたかによってのみ倫理的であるのではなく、それによって結論が出された良心的な考察と 事前評価の過程によっても倫理的である。


4.倫理の一般原則

人間を対象とするすべての研究は、人々の尊重、善をなすこと、悪をなさぬこと、そして正義という四つの倫理原則に従って実施されるべきである。 これらの原則は、ふつう、科学的な研究提案についての良心的な準備への導きであると考えられている。さまざまに異なる状況下これらの原則は、 その表現や重み付けが異なるかもしれないし、誠実な適用の効果が異なり、異なった決定や措置の道筋をたどるかもしれない。これらの原則は 最近の十年大いに検討され明らかにされた。これらの原則が疫学に適用されることこそ、この指針がねらいとするところである。

人々の尊重(respect for persons)の原則は、少なくとも次の二つの基本的な倫理原則を含んでいる。

a) 自律(autonomy)の原則は、自己の目的について熟慮することができる(capable of deliberation)者は自己決定能力を尊重して扱われるべきこと を要求する。

b) 自律が損なわれ減少した人々の保護(protection of persons with impaired or diminished autonomy)の原則は、依存関係にあるか脆弱な立場に ある者は害ないしは濫用からの保護が与えられるべきことを要求する。

善行(beneficence)の原則は、可能な利益を最大にし、可能な害や悪を最小にする倫理的な義務である。この原則は、研究のリスクが期待される 利益に照らし相当である(reasonable)こと、研究計画がしっかりしている(sound)こと、そして研究者が研究の実施と研究対象者の福利の確保の 双方に能力がある(competent)ことを要求する規範のもとである。

悪をなすな(non-maleficence)の原則は、医の倫理の伝統の中核で、研究対象者に対する避けられる害に対する保護手段である。

正義(justice)の原則は、同様と考えられる事例は同様に扱われるべきこと、異なると考えられる事例はその相違を認める方法で扱われるべきこと を要求する。正義の原則が依存関係にあるか脆弱な立場にある研究対象者に適用されるときは、主たる関心事は配分的正義のルールである。 研究は、その研究対象者が代表しているクラスの人々の利益となる知識を獲得するべく計画されているべきである。研究の負担を担う人々の クラスは適切な利益を受けるべきであり、基本的にその利益が意図されているクラスはその研究の適正なリスクと負担を負うべきである。

配分的正義のルールは、地域社会の内部および地域社会の間で適用される。地域社会内の弱い立場の者は、その地域社会のすべての成員が 利益を得るべく企画された研究の不釣合な負担を負うべきでないし、より依存的な地域社会や国々は、すべての地域社会または国々が利益を 得るべく企画された研究の不釣合な負担を負うべきではない。

倫理の一般原則は、個人レヴェルと地域社会レヴェルで適用され得る。個人のレヴェルでは(microethics)、倫理は、個人がいかに他の個人や、 地域社会のそれぞれの成員の道徳上の主張に関わるかを律する。地域社会のレヴェルでは、倫理は、地域社会がいかに他の地域社会と 関わるかをそして地域社会がいかにその成員(将来の成員も含む)や異なる文化的価値を持つ他のグループの成員と関わるかを律する (macroethics)。一つのレヴェルで反倫理的な手続きは、他のレヴェルでは倫理的に受け入れられると考えられるというだけの理由で正当化 され得ない。


5.疫学に適用される倫理原則

5-1.インフォームド・コンセント

a.個人の同意


  1. 諸個人が疫学研究の対象とされるときは、かれらのインフォームド・コンセントが通常求められる。個人の身元が分かる私的データを用いる 疫学研究については、インフォームド・コンセントのルールは一様でない(後述)。同意は、研究の目的および性質、参加によって求められる行為 およびリスク、研究から予測される利益を理解する人によって与えられるとき、インフォームド・コンセントとなる。

  2. インフォームド・コンセントを求めない提案をする研究者は、倫理審査委員会に対し、インフォームド・コンセントがなくてもいかに倫理的であるか を説明する義務を負う。すなわち、記録が調べられる対象者たちを捜し出すことは実行できそうもないとか、例えば、対象候補者たちは、説明され ればそれについて研究することが提案されている問題の行動を変えるかもしれない。または何故研究の対象とされるかにつき不必要に心配する かもしれないなど、研究の目的は邪魔されるだろうとかの説明である。研究者は、秘密を守るために厳重な保護手段が採られること、そして研究は 健康の保護ないし増進を目的にしていることの保証を与える。インフォームド・コンセントを求めない他の正当化事由は、個人データを疫学研究に 利用するのが通例であると公の知らせによって対象者が知らされている場合であろう。

  3. 職業に関する記録、医療に関する記録、組織サンプルなどをある目的に使うことについて、研究は何ら害をもたらす恐れはないが、そのことに 同意が与えられていない場合に、倫理の問題が生じるかもしれない。諸個人またはかれらの公的な代表は、かれらのデータが疫学研究に使われる かもしれないこと、および秘密を守るためにどのような手立てが講じられるかについて、ふつう、説明されるべきである。公的に利用可能な情報の 利用については、何が市民について公的な情報かの定義をめぐって国により地域社会により異なるものの、同意は要求されない。しかし、そのような 情報が利用される場合は、研究者は、センシティブな個人情報の開示を最小限にすることが了解されている。

  4. 団体や政府機関の中には、法律ないしは雇用契約によって対象者の同意なしにデータを利用することを許されている疫学者を雇うところがある 。これらの疫学者は、与えられた状況において、個人データを利用するかれらのこの機能を行使することが倫理的かどうかを考えなければならない 。倫理的には、かれらは、関係する諸個人の同意を求めるか、それともそのような同意なしに利用することを正当化するかのいずれかが、なお 期待されている。個人に対する害の最小限のリスク、公益、データが研究されている諸個人の秘密についての研究者による保護などの根拠があれ ば、利用は倫理的たり得る。

b.地域社会の合意

  1. 研究されるそれぞれの個人にインフォームド・コンセントを求めることができないときは、地域社会またはグループの代表者の合意が求められる が、その代表者は、地域社会またはグループの性質、伝統および政治哲学に従って選ばれるべきである。地域社会の代表者が与える承認は、 一般的な倫理の諸原則と整合しているべきである。研究者は、地域社会と仕事をするときは、個人の権利と保護を検討するように、地域社会の 権利と保護を検討する。集合的な意思決定が慣行である地域社会では、地域社会の指導者は集合的な意思を表明できる。しかし、研究への参加 を個人が拒否するとき、その拒否は尊重されなければならない。指導者は地域社会に代わって合意を表明できるが、個人としての参加を拒否する 個人の意思には拘束力がある。

  2. グループの成員を代表する人々が政府の部局などグループ外の機関によって指名される場合は、研究者や倫理審査委員会は、これらの人々 がそのグループを真正に代表しているかどうかを検討し、必要なら他の代表者たちの合意も求めるべきである。地域社会またはグループの代表者 たちは、しばしば研究の計画と事前の倫理評価に関与する立場に置かれるかもしれない。

  3. 疫学研究にとって地域社会またはグループの定義は倫理的な関心事項であろう。地域社会の成員たちが地域社会の活動を一つの地域社会と して自然に意識し他の成員たちと共通の利害を感じるとき、研究の提案とは関係なしに、その地域社会は存在する。研究者は、地域社会がいかに 成り立ち、定義されるかにつき神経を使い、経済的・社会的地位が低いために人権を十分に認められていないグループの権利を尊重する。

  4. 疫学研究の目的で、研究者は、常態では社会的に相互に作用し合わない諸個人を統計的、地理的その他の理由によって構成したグループを 定義することもある。そのようなグループが科学的な研究目的で人為的に作られるとき、グループの成員たちは容易には指導者ないしは代表者と 同一であるとみなし得ないし、諸個人は他の人々のために不利なことをやることは期待され得ない。そういうわけで、グループの代表性を確保する のはさらに一層難しいし、対象者の、自由なインフォームド・コンセントを得ることはその分だけ一層重要になる。

c.情報の選択的開示

  1. 疫学研究においては、容認されている研究方法の中に情報の選択的開示を伴うものがあるが、それはインフォームド・コンセントの原則と衝突 するように思われる。ある疫学研究では情報の不開示は許されるし、本質的でさえある。それは、不開示によって、調査される行動の随意性に 影響を与えず、回答者が質問者を喜ばせようとして与える回答を得ることを回避するためである。選択的開示は、対象者がそうでなければ同意 しないことを同意させるものでない限り、良性であり倫理的に許容され得る。倫理審査委員会は、この過程が正当化されるとき、選択された情報 のみの開示を許可することができる。

d.不当威圧

  1. 対象候補者たちは、かれらに対する力ないしは影響力をもつ人々からの求めについて、拒否が自由とは感じないかもしれない。したがって、 対象候補者たちに参加を勧める研究者ないしはその他の人が誰であるかは、対象候補者たちに知らされていなければならない。研究者は、 倫理審査委員会に対し、そのような明らかな影響を中立化する方法を提案することが期待される。当局ないしは地域社会の指導者によって不当 に影響を受けているグループから対象者を募集するのは、このカテゴリーに属さない人々についてその研究が実施可能な場合は、倫理的に 問題がある。

e.参加への勧誘

  1. 個人も地域社会も、研究への参加を強制されるべきではない。しかし、強制を用いることまたは不適当な好条件を出すことと、正当な動機づけ を作ることとの間に線を引くことは困難なこともあり得る。知識が増える、または新しい知識が得られるなどの研究の利益は適切な条件である。 しかし、人々または地域社会が基礎的な保健サービスを欠き、または金がないときは、商品、サービスまたは現金が報酬として与えられる見込みは 、参加への勧誘たりうる。そうした勧誘の倫理的な正しさは、文化の伝統に照らして事前評価されなければならない。

  2. 参加に伴うリスクは、勧誘がないときでさえ対象者に対し容認され得るものでなければならない。交通費などの実費を払い戻すことは認められる 。同様に、損害、傷害または所得の喪失に対する補償やケアは勧誘と見なされるべきではない。

5-2.利益を最大にすること

a.研究結果の伝達

  1. 地域社会、グループおよび諸個人が、研究への参加からふつう期待しうる利益の中には、かれらの健康に関する研究結果が知らされることが 含まれる。研究結果は、それが地域社会の健康を改善する公衆衛生措置に適用可能な場合は、保健当局に伝達されるべきである。諸個人に 研究結果と健康への関連を説明する際は、かれらの読み書き能力や理解のレヴェルが考慮されなければならない。研究計画書にはそのような 情報の地域社会および諸個人への伝達の条項が含まれるべきである。
    地域社会への研究結果と勧告は、適切で利用可能な方法によって公告されるべきである。HIV有病率研究が連結されない匿名スクリーニングに よって行われる場合、実行可能なときは、インフォームド・コンセントに基づく任意のHIV抗体検査の条項が、検査前および後のカウンセリングや 秘密保証条項とともに規定されるべきである。

b.研究結果伝達の不能

  1. 疫学研究の対象者は、かれらの健康に関する研究結果を知らせることができないかもしれない旨、しかし、そのことは研究されている 疫病または(健康)状態にかれらが冒されていないことを意味していると受け取るべきでない旨知らされるべきである。集められた研究結果から 諸個人や家族に関する情報を抽出することはしばしば不可能であるが、研究結果が保健ケアの必要を表しているときは、関係者は、個人の 診断や助言を得る方法について知らされるべきである。
    疫学データが連結されていない場合、対象者の不利益の一つは、危険に晒されている諸個人がかれらの健康に関する有用な研究結果について 知らされ得ないことである。対象者が医療を求めるために個々に知らされ得ないときは、善をなせとの倫理的義務は、対象者の属する地域社会 において利用可能で適切な保健ケアの助言をすることによって満たされうる。

c.研究結果の公開

  1. 研究者は、行政当局ないしは商業機関が保有するデータの公開を強いることはできないかもしれないが、保健プロフェッショナルとして、公共 の利害にかかる情報の公開を唱道する倫理上の義務がある。
    研究のスポンサーは、研究者に対し、一つの製品ないしは処置が健康に有害である、または有害でない旨示すなど、研究者の研究結果が特別の 利害を促進する方向で呈示するよう圧力をかけることがあるかもしれない。スポンサーは、解釈もしくは推論、または理論および仮説を、あたかも 証明された真実のように提示してはならない。

d.研究される地域社会のための保健ケア

  1. 発展途上国において疫学研究計画を引き受けることで、関係する地域社会では保健ケアが与えられる、または少なくとも研究従事者がいる間 は与えられるという期待が生じるかもしれない。そうした期待は失望させられるべきではなく、人々が保健ケアを必要とする限り、かれらに治療を 受けさせるよう取り決めるか、あるいは必要なケアを提供できる地域保健サービスにかれらを紹介するべきである。

e.地域保健従事者の訓練

  1. 研究が行われている間、ことに発展途上国では、地域の保健従事者の、保健サービスの改善に用いうる技能や技術を訓練する機会が 与えられるべきである。例えば、かれらに測定法や計算機の操作の訓練をすることで、研究チームが去る時に、疫病ないしは死亡率をモニター する能力など何か価値あるものを残すなど。

5-3.害を最小にすること

a.害を引き起こし悪をなすこと

  1. 研究を計画する研究者は、不利益をもたらすという意味で害を引き起こすリスク、および諸価値に背くという意味で悪をなすリスクを認識する。 害は、例えば、希少な保健従事者が日常の義務から研究の必要を満たすために振り向けられるとき、または、地域社会に知られずに保健ケアの 優先順位が変わるときなどに起こるかもしれない。地域社会の成員を、研究のための非人格的な資料とみなすことは、害が引き起こされないときで さえ悪である。

  2. 倫理審査は、常に、対象者ないしはグループが研究に参加する結果被る烙印、偏見、名声もしくは自尊心の喪失、または経済的損失のリスク を事前評価しなければならない。研究者は、倫理審査委員会および対象候補者に対し、認識されているリスクおよびそれを抑止し緩和する提案 について説明する。研究者は、利益が諸個人およびグループに対するリスクに優ることを示すことができなければならない。研究で誰がリスクを 負い誰が利益を得るかを確定する徹底した分析をするべきである。人々を、予測される利益と釣り合いがとれない、避けられるリスクに晒すこと、 または知られているリスクを、それが避けられるか少なくとも最小にできるときに、そのままにすることを許すのは非倫理的である。

  3. 健康な人がリスクの高い集団ないしは下位集団の一員であり、かつハイ・リスク活動に従事するときは、その集団ないしは下位集団を保護 する手段を提案しないのは非倫理的である。

b.グループへの害を防止すること

  1. 疫学研究は、グループや諸個人を経済的損失、非難またはサービスの取り止めなどの害に、うっかり晒すかもしれない。グループを有害な 批判ないし処置のリスクに晒し得るセンシティヴな情報を見つける研究者は、かれらの研究結果を伝達し説明するに際して慎重であるべきである。 研究者は、研究結果の理解にとって研究の場所または環境が重要な場合、害または不利益からどのような方法でグループを保護するよう提案 するかを説明する。そうした方法の中には、秘密保持や、対象者の行動に対する道徳的批判を意味しない言葉の使用の条項が含まれる。

c.有害な広報

  1. 一方で何の害も加えないことと、他方で真実を話し科学的な研究結果を一般に公開することとの間に衝突がありそうである。害は、リスクに 晒される人々の利益を保護するようにデータを解釈することで緩和され得るし、同時に科学的完全性と両立する。研究者は、害を引き起こすかも しれない誤った解釈を予測し、これを避けるべきである。

d.社会の道徳的慣習の尊重

  1. 社会の道徳的慣習の崩壊は、通常、有害とみなされる。文化的価値および社会の道徳的慣習は尊重されなければならないが、一定の習慣 または伝統的行動における変化を刺激して、例えば食事または危険な職業に関して健康な行動へ導くことが一つの疫学研究の特別の目的で あるかもしれない。

  2. 地域社会の成員は、かれらに他者が「差し出がましい」善を押し付けさせない権利を有しているが、健康上の利益になることが期待される研究 は、通常、倫理的に容認され害がないとみなされる。倫理審査委員会は、研究について、有益な変化への可能性を検討するべきである。しかし、 研究者は、地域社会の参加への合意が、よりよい保健サーヴィスへの期待によって不当に影響されている場合は、そのような利益について誇張 して述べるべきではない。

e.異なる文化への感受性

  1. 疫学研究者は、しばしば、国内外のかれら自身以外の文化グループを研究し、研究が行われる文化、地域社会または国の外から提案された 研究を引き受ける。スポンサーになる国々とホスト役の国々とは、それぞれの文化において、例えば個人の自律に関するもののように、倫理的価値 が理解され適用される様式が異なるかもしれない。研究者は、かれら自身の倫理水準、および疫学研究が行われる社会の文化的期待を、そのこと が優越する倫理規範の侵害を意味しない限り、尊重しなければならない。研究者は、ホスト役の国々では受け入れられるが、かれら自身の国々で は非礼とみなされる仕事に従事することによってかれらの評判を落とす危険がある。同様に、研究者は、かれら自身の国々の期待に無批判に 従うことで、ホスト役の国々の文化的価値を侵犯する可能性がある。

5-4.秘密性

  1. 研究は、諸個人やグループに関するデータの収集、蓄積を伴うことがあり、もしそうしたデータが第三者に開示されれば、害または苦痛を 引き起こすかもしれない。したがって、研究者は、そのようなデータの秘密性を保護するために、例えば、個々の対象者の身元が分かる情報を 省略したり、データへのアクセスを制限するなどの取決めをするべきである。疫学では、数字を総計し、個人の身元を曖昧にするのが通例である。 グループの秘密性が維持され得ないか、侵害される場合は、研究者は、グループの評判や地位を維持または回復する手段を講じるべきである。 対象者については得られた情報は、ふつう次のように分けられる。すなわち、
    連結されない情報  これは情報が関係する人と連結され、関連され、または結合され得ない情報である。研究者はこの人を知らないから、 秘密性は危険にさらされず、インフォームド・コンセントの問題は起こらない。
    連結される情報  これは(1)匿名のanonymous情報、すなわち情報とそれが関係する人とが、その人のみが知っている暗号ないしは他の方法 によってしか連結され得ない情報で、したがって研究者はその人の身元を知ることができないもの、(2)無記名のnon-nominal情報、すなわち情報が、それが関係する人と研究者とに知られている暗号 (個人の身分証明を除く)によってその人と連結され得る情報、または(3)記名nominal or nominative情報、すなわち情報が、それが関係する個人 と身元証明(ふつうには名前)によってその人と連結されている情報のどれかである。
    疫学研究者は、統計解析の目的でデータを結合するとき、個人の身元を同定する情報を捨てる。例えばHIV感染についての連結されない匿名の 血液サンプルテストにおけるように、個人の身元を同定することなしに研究できる場合は、身元の分かる個人データは使われないだろう。個人の 身元を同定するものが記録に残っているときには、研究者は、倫理審査委員会に対し、なぜそれが必要か、どのようにして秘密性を保護するかを 説明すべきである。もし研究者が、個人の対象者の同意を得て、個人に関する異なる組み合わせのデータを連結させる場合は、ふつう、個人データ を表ないしは図表に総計することで秘密性を維持する。政府や自治体のサーヴィスでは、秘密性を保護する義務は、しばしば、職員の守秘の宣誓 によって補強される。

5-5.利害の衝突

a.利害の衝突の特定

  1. 研究者が、研究協力者、スポンサーまたは対象者と、明らかにされていない、利害の衝突をもつべきではないことは倫理のルールである。研究者は 、倫理審査委員会に対し、可能性のあるあらゆる利害の衝突を開示するべきである。衝突は、営利事業その他のスポンサーが研究結果を製品 もしくはサーヴィスの販売促進に使いたいとき、または研究結果を開示することが政治的に都合が良くないときに起こり得る。

  2. 疫学研究は、研究者の雇用主である政府諸機関が提案して、あるいは財政面その他を援助して行われることがある。産業保健や環境保健の 領域では、株主、経営、労働、政府の取締機関、公益擁護集団など、いくつかのはっきり定義される特別の利害関係集団の利害が衝突し得る。 疫学研究者は、これらの集団のいずれかから雇われることがよくある。そのような利害の衝突に伴って起こる圧力と、それゆえの研究結果の歪んだ 解釈を避けるのは難しいこともあり得る。似たような利害の衝突は、薬物の効果の研究や医療機器の検査でも起こり得る。

  3. 研究者や倫理審査委員会は、この衝突のリスクに対して敏感であり、委員会は、利害の衝突が内在する提案を通常は承認しない。もし例外的 にそのような提案が承認される場合は、その利害の衝突が対象候補者たちおよびかれらの地域社会に対して開示されるべきである。

  4. 対象者たちはかれらの行動を変えたがらず、研究者は対象者たちの健康のために変えさせなければならないと思うとき、衝突があるように 見える。しかし、これは真の衝突ではない。なぜなら研究者は、対象者たちの健康という利益によって動機付けられているからである。

b.科学的な客観性と唱道

  1. 正直と公平は、研究の計画、実施および研究結果の提出、解釈において本質的である。データは、隠しておかれたり、偽って伝えられたり、 あるいは操作されない。研究者は、直すことを必要とする健康上の危険を発見し、健康を保護し回復する手段の唱道者となることがある。その場合 、研究者の唱道は客観的、科学的データに基づくものと認められなければならない。


6.倫理審査手続き

6-1.倫理審査の要求

  1. 一つの社会における倫理審査(訳注 制度)の設置は、政治経済上の考慮、保健ケアや研究の組織、そして研究者の独立性の程度によって 影響される。状況がどうであれ、ヘルシンキ宣言および人間についての生物医学研究のためのCIOMS国際指針が疫学研究において考慮される ことを確保する責任が存在する。

  2. 疫学研究の提案が独立の倫理審査に付されるとの要件は、提案元が何であるか、大学、政府、保健ケア、営利事業その他であるかに 関わらない。スポンサーは、倫理審査の必要性を承認し、倫理審査委員会の設立を促進するべきである。スポンサーと研究者は、かれらの提案 を倫理審査に提出することが期待され、このことは、スポンサーが研究者に対しデータへのアクセスを許可する法的な権限を持っているときでさえ 見逃されるべきではない。一つの例外が正当化されるのは、疫学研究者が急性伝染病の発生を調査しなければならない場合である。その場合、 疫学研究者は続いて遅滞なく保健上のリスクを同定し、管理しなければならない。かれらは、倫理審査委員会の正式の承認を待つことは期待され 得ない。にもかかわらず、そのような状況の下で、研究者は、可能な限り個人の諸権利すなわち自由、プライヴァシーおよび秘密性を尊重する。

6-2.倫理審査委員会

  1. 倫理審査委員会は、国もしくは自治体の保健行政当局、国立医学研究評議会、またはその他国の代表的な保健機関などの後援で設置して さしつかえない。地域的に活動する委員会の権能は、一つの施設に限定されるか、あるいは一定の行政管轄区域内で行われるすべての生物医学 的研究に広げられ得る。委員会がどの様に設置されようと、管轄区域がどの様に定められようと、例えば会議の回数、定足数、意思決定手続き、 決定の再審理などについて運営規則を設け、そのような規則を将来の研究者たちに発するべきである。

  2. 高度に中央集権化された統治機構では、国の審査委員会が研究のプロトコルを科学と倫理の両方の見地から審査するために設けられる かもしれない。地方分権化された国々では、プロトコルは地方ないしは地域のレヴェルでより効果的かつ適切に審査される。地域の倫理審査 委員会には二つの責任がある。一つは、提案されているすべての(身体的)干渉の安全性が能力ある専門家集団によって事前評価されていること を確かめること、もう一つは、他のすべての倫理問題が申し分なく解決されていることを確保することである。

  3. 地域の審査委員会は、研究者の同僚の委員会として行動し、その構成は、審査に付された研究提案の十分な審査を確保できるようになって いるべきである。構成メンバーは、疫学者、他の保健従事者、地域社会・文化・倫理の諸価値の領域を代表する資格のある素人を含むべきである。 委員会は、種々様々な構成を持ち、研究がとくに目標にする集団の代表を含むべきである。メンバーは個人が不当に影響力が強くならないように、 そして倫理審査に伴うネットワークを広げるために、定期的に交替するべきである。研究者からの独立性は、提案に直接利害関係のあるメンバーを 事前評価に参加させないことによって維持される。

6-3.審査委員会メンバーの倫理的行動

  1. 倫理審査委員会メンバーは、かれら自身の側での反倫理的な行動への傾向に対し注意深く警戒しなければならない。ことに、審査委員会の資料と 検討事項の秘密を守るべきである。また、研究者をして審査の不必要な繰り返しをさせるべきではない。

6-4.地域社会の代表

  1. 研究されることになる地域社会は、倫理審査の手続きにおいて代表を出すべきである。これは、その地域社会の文化、尊厳および独立独行に 対する尊重と、地域社会成員が研究を十分理解することを達成するという目的と一致する。正規の教育を欠いていることが、研究およびその結果 の適用に関する諸問題の建設的な検討に、地域社会成員の参加資格を失わせるものと考えられてはならない。

6-5.個人の視点および社会の視点の均衡

  1. 審査するにあたり、委員会は、個人と社会の両方の視点を検討する。個人のレヴェルでは個人の自由なインフォームド・コンセントの確保は 不可欠だが、もしその個人の所属する地域社会が研究に異論の余地ありと認定する場合は、そのようなインフォームド・コンセントのみでは研究 を倫理的とするのに十分ではないかもしれない。社会的価値は、将来の集団と身体の環境とに影響する幅広い諸問題を提起しうる。例えば、 病原生物の中間宿主をコントロールする処置を広範に適用する提案において、研究者は、それらの処置の地域社会および環境に及ぼす影響 を予期し、審査委員会は、研究者がそれらの処置の適用を監視し望まない結果を予防するのに十分な備えがあることを確保する。

6-6.科学的妥当性の確保

  1. 倫理審査の第一の役割は、対象者を害ないしは悪のリスクから保護し、有益な研究を促進することである。科学審査と倫理審査は、これを分け て考えることはできない。すなわち、科学的に妥当でない研究は、対象者をリスクないし不都合にさらし、知識に何の利益ももたらさず反倫理的で ある。したがって、通常、倫理審査委員会は科学的視点および倫理的視点の両方を検討する。倫理審査委員会は、科学審査の技術的な点を、 科学の面で資格のある人あるいは委員会に付託することができるが、そのような資格のある助言に基づき、科学的妥当性につき自身の決定に 到達する。審査委員会は、提案が科学的に妥当であることに納得した場合に、次に、対象者へのリスクが、予期される利益によって正当化されるか どうか、および提案がインフォームド・コンセントやその他の倫理条件の点で満足できるものかどうかを検討する。

6-7.安全性と質の事前評価

  1. 研究されるすべての薬物や医療用具は、適切な安全性の基準に適合しなければならない。この点で、多くの国々では、技術的なデータについて 独立に事前評価する方策(resources)を欠いている。専門家を任命する権限のある、多くの学問領域にわたる政府の委員会は、薬物、医療用具 および処置の安全性と質を事前評価するのに最も適した機関である。そのような委員会は、臨床医、薬理学者、統計家、とりわけ疫学者を含むべき である。疫学研究において疫学者は、明らかに重要な地位をしめる。倫理審査には、そのような委員会との協議手続きを置くべきである。

6-8.対象者の選定における公平

  1. 疫学研究は集団に益することが意図されているが、個々の対象者は研究に関係するすべてのリスクを引き受けることが要求される。研究が 大部分富裕階級または集団の健康な成員を益することを意図しているときは、対象者の選定において年齢、社会経済的地位、不具その他に 基づく不公正を避けることはとくに重要である。利益と害の可能性は、年齢、性、人種、文化その他に基づき異なる地域社会内および地域社会間で 公平に配分されるべきである。

6-9.害を被りやすく依存関係にあるグループ

  1. 倫理審査委員会は、提案が、主として、子供、妊娠し育児をする女性、精神疾患ないしは身体障害を持つ人々、医療とは縁遠い地域社会の 成員、そして囚人や医学生のように、真に独立の選択をする自由が制限されている人々の集団を参加させる場合は特に用心深くあるべきである。 これと似た用心深さは、対象者に直接の利益がない侵襲的な研究の提案の場合に必要とされる。

6-10.コントロール群

  1. 疫学研究であって(比較)コントロール群またはプラシーボ治療(すなわち無治療)群を必要とするものは、臨床試験に適用される倫理基準と 同じものが支配する。重要な原則は次のとおりである。
    (1)死、廃疾または重大な苦しみを引き起こしうる条件についての研究におけるコントロール群は、その時点で最も適切で確立された治療法を 受けるべきであること、そして(2)試験されている処置が優れていることがもし証明されたら、その処置がコントロール群の人々に直ちに与えられる べきであること
    もし一方の群の結果が他方の群の結果より明らかに優れているときは、研究は途中で中止され、すべての対象者には、その、より優れている 治療法が与えられる。研究のプロトコルは、「中止規定」すなわちそのような出来事を監視し、措置をとるルールを含むべきである。研究者は、 コントロール群に対して研究(訳注 中止?)のもたらす潜在的利益と、研究結果をコントロール群に適用することによる改善された保健ケアへの 期待とを、絶えず心に留めておかなければならない。

6-11.無作為化

  1. 治療法または診断法の選択が無作為割り付けで決定される試験は、二つまたはそれ以上の治療法または診断法の結果に真正の不確実性 がある場合にのみ実施されるべきである。無作為化が使われるときは、すべての対象者は、最適の治療法または診断法についての不確実性と、 試験をする理由は二つまたはそれ以上のどちらがその対象者の最善の利益に合致するかを決定することにあることの説明を受ける。対象者に そのような不確実性を説明することは、それ自体、ほかの理由で既に不安になっているかもしれない患者たちに不安を引き起こしうる。したがって、 情報の伝達において臨機応変の才と細かな心遣いが要求される。倫理審査委員会は、研究者がこの不確実性を対象者へ説明することに明確に 言及するかどうかを確認するべきであり、対象者のそのことへの不安を和らげるために何がなされるかを質問するべきである。
    無作為割り付けも不安を引き起こしうる。すなわち、実験的な治療法または診断法が割り付けられ、またはそれから除かれた人々は、自分たちが 選ばれ、または除かれた理由について不安になるかもしれない。研究者は、研究される集団の成員に、偶然の法則の応用についての基本的な 概念を伝え、無作為割り付けの手続きが差別的でないことを安心させなければならないかもしれない。

6-12.多施設研究のための準備

  1. 共通のプロトコルに従う多施設研究への参加が提案されているとき、一つの倫理審査委員会は、研究者が遵守することを期待する倫理基準 の適用について妥協せずに、他の委員会の異なる意見を尊重し、多施設研究のみが達成しうる利益を保持するために相違点を調和させるよう 試みる。それをするための一つの方法は、共通のプロトコルの中に必要な手続きを含めること、他の方法は、いくつかの委員会がそれらの審査 機能を、研究において共同する、一つの共同委員会に委託することであろう。

6-13.偶発的な傷害に対する補償

  1. いくつかの疫学研究は、不注意から害を引き起こしうる。金銭的な損失は直ちに償還されるべきである。金銭的な支払いが適当でない場合は、 補償は困難である。守秘義務違反または研究結果の心ない公表がグループの信望の失墜または尊厳の喪失に通ずる場合は、回復が困難かも しれない。研究の結果、害が生じたときは、その研究のスポンサーとなり、またはそれを保証した機関は、公的な謝罪または補償によってその損害 を償うように備えるべきである。

6-14.外部スポンサーによる研究

  1. 外部スポンサーによる研究とは、ホスト役の国で実施される研究であるが、外部の、国際的機関または国の機関がホスト役の国の当局と協力 または合意して提案し、資金を調達し、ときには全体的または部分的に実施する研究である。
    そのような研究は二つの倫理的義務を含む。すなわち、第一に、提案機関は、研究プロトコルを倫理審査のために提出するべきであり、その プロトコルにおいて倫理基準はその研究が提案国で行われた場合と同等の厳格さを持つべきである。第二に、ホスト役の国の倫理審査委員会は、 提案が自身の倫理基準に合致していることに確信を得るべきである。

  2. 外部で始められ資金調達される提案が提案国の倫理的承認のために提出され、保健行政機関、研究評議会、医科学学会など提案国の責任 ある機関によって保証されることを要求することは、ホスト役の国の利益である。

  3. 外部スポンサーによる研究の二次的な目的は、ホスト役の国の保健職員が類似の研究計画を遂行できるように訓練することであるべきである 。

  4. 研究者は、資金を提供する国とホスト役の国の両方の倫理のルールに従って行動しなければならない。したがって、かれらは研究計画をそれ ぞれの国の倫理審査委員会に提出することに常に備えなければならない。あるいはまた、単一、もしくは共同の倫理審査委員会の決定に同意する 方法もありうる。さらに、国際機関がスポンサーとなる研究の場合は、その機関自身の倫理審査の要件が満たされなければならないかもしれない。

6-15.研究と計画評価の区別

  1. ある特定の提案が一つの疫学研究なのか、保健施設もしくは部局による一つの計画評価なのかは、しばしば決めがたい。研究を定義づける 性質は、特定の個人ないしは計画にのみ関連する知識とは区別される意味での、新しい一般化しうる知識を生むようにデザインされていることで ある。
    例えば、政府ないしは病院の部局が一つの設備、装置または処置の安全性と有効性を決めるために患者の記録を調査したいとする。もしその 調査が研究の目的なら、その提案はその倫理的な性質を考える委員会に提出されるべきである。しかし、それが計画評価の目的であって、施設 の職員が治療計画の効果を評価するために行われるときは、提案は倫理審査のために提出される必要はないかもしれない。それどころか、この 種の質の保証をしないことは、貧弱な慣行で反倫理的とみなされうる。利益の予測または患者に対する害の回避というものは、以前の患者たちの 医療記録をかれらの同意なしに調べることになりがちではあっても、かれらへの守秘義務に反するというリスクを上回る倫理的価値となりうる。
    提案は、それが疫学研究か日常的な実践か明瞭でないときは、疫学プロトコルに対して責任のある倫理審査委員会に提出され、その指示範囲に 属するかどうかの意見を得るべきである。

6-16.研究者から提出されるべき情報

  1. 倫理審査の手続きの型がどうであれ、研究者は、次の事項からなる詳細なプロトコルを提出しなければならない。
    −現在の知識の状態との関連での、目的の明瞭な記述、および人間を対象にすることの正当化理由
    −予期される薬物の用量や治療期間を含む、提案されているすべての処置および(身体的)干渉についての正確な記述
    −対象者数の必要性を示す統計的計画
    −研究を中止する基準
    −インフォームド・コンセントを得る手続きの詳細を含む、個々の対象者の参加および脱退を決める基準
    またプロトコルは、次の項目を満たすものであるべきである。
    −関連の実験室および動物試験の結果を含む、提案されている処置、(身体的)干渉、検査される薬物、ワクチン、医療用具の安全性を立証する 情報を含むこと
    −対象者への予期される利益および提案されている処置の起こり得るリスクを明記していること
    −インフォームド・コンセントを引き出すために使われることが提案されている方法および書類を示すこと、あるいは、インフォームド・コンセントが 要求され得ない場合は、同意を得る代りのどのような承認されている方法が用いられるか、および、どのようにして対象者の諸権利を守り福利を 確保しようと提案するかについて記述すること
    −研究者に適切な資格があり経験があること、あるいは、必要なら、能力ある監督者の下で仕事をすること、そして研究者が安全で効率的な 研究の実施のために十分な施設へのアクセスがあることの証拠を用意すること
    −研究結果を処理し、公表する間の秘密を守る方法として提案するものについて記述すること
    −その他含まれるべき倫理的考慮について言及すること、そしてヘルシンキ宣言の諸規定が尊重されることに触れること