編集後記


臨床評価 1992; 20(3): 579より

本誌には開発段階における新医薬品の臨床試験成績が数編掲載されるのが常である。わが国においては半ば定型化されてい ると思われるこれらの論文の内容についても、諸外国の実情と比べると趣きを異にしていることに気付かれる。

まず第一に日本では、厚生省が新医薬品の申請に使用される中核的な臨床研究については、その出版を勧める習慣がある。 これは開発段階の臨床研究の内容の成績が一般に公表され、また査読制度のある定期刊行物に掲載される場合には、その 論文としての質も高く維持されることを期待しての処置であろう。しかしFDAなどではINDの制度を採用していることもあり、研究者 のみの判断で臨床試験を結論づけて発表することには賛成でなく、また成績については知的所有権として保護されるという 考え方もあり、必ずしも申請前の論文掲載に賛同しているとは申し難い。また臨床研究として論文となる場合には、その質に ついて厳しく審査を経なければならない。

また第二に諸外国、ことに米国ではFDAが新医薬品の有効性を厳密な統計的な手段により証明することを求めており、また 用量・反応試験において中毒量に近い用量の決定を求めるなど、試験のあり方が日本と趣きを異にしている。日本においては 副作用をみないか、あるいは少ない範囲の用量における有効性を検定しようとする傾向があるので、用量・反応曲線が同様 である場合にも、国によって同一適応に対する承認用量が異なるような結果が生じうるのであろう。これらは考え方の差、あるいは 文化の差を反映するものであり、広くは医学人類学(medical anthropology)の対象となる問題でもあろう。

本号において「薬効評価における有用性の概念」についての座談会が掲載されているが、大きな関心を呼ぶ問題と思われる。 この問題の発端の一つが「薬効評価」の国際協調化という問題に関わる問題であるとすると上述の問題と共通する基礎を 有する問題であろう。

「有用性」の問題についても、概念としての問題、プロトコールにおける規定の仕方、承認申請に利用されるという行政的な 取扱い方、社会的な有用性という問題や英訳の言葉の差により生じる包括する内容の差など多くの視点があり、その評価は 単純な議論では終結しないと思われる。

しかし医療についてもボーダーレスの国際化の時代を迎えているので、国際的に通用する基準を積極的に採用する一方、日本の 文化習慣を尊重しつつ、日本のシステムについての理解を求めるよう努力することも必要と思われる。(K. U.)

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