編集後記


臨床評価 1991; 19(3): 423より

最近、米国などでは二重盲検試験、とりわけinactive placeboを使用する試験の倫理性が問題として取り上げられているようであ る。試験の結果、被験薬の間に明らかな差が認められた場合、たとえ被験者のインフォームド・コンセントが得られていても、 劣る方のくすりを割り当てられた患者は結果的に不利益を被ることになるからである。これは、医師はどんな場合でも患者の ために最善の治療を行うという医師の本来の義務に反するばかりでなく、医師−患者間の信義則にもとり、両者の信頼関係を 損なうことになるからである。

わが国でも、二重盲験法の理論的妥当性は理解できても、比較試験に内在するこうした問題や実施上の困難などからか、 二重盲検法は引き受けない施設があるという。試験は忌避しながら発売された新薬を使うのでは「新薬タダ乗り」だと批判する 向きもある。これは、かつて東西冷戦の時期にわが国が、日米安全保障条約の傘の下で、自らは労することなく平和と安全を 享受しているとして、「安保タダ乗り論」が話題になったが、それをもじったものであろう。

こうした批判の当否はともかくとして、二重盲検法やプラセボの使用にきわめて難かしい問題が内在していることは否定できない。 試験への参加を決めるのは究極的には被験者の自己決定能力、ボランティア精神、善意、利他心、奉仕の意志などであるが、 わが国の一般的患者層にこれを期待することはかなり難かしいように思われる。しかもそれは、医師が被験者に対して十分な 説明をし、被験者がこれを正しく理解することを条件とし、その上での決定でなければならないとされている。そのためには多くの 時間と説得の手間を必要とし、患者の理解力が不十分なことも多く、実地臨床の場では、言うは易く実際はたいへんに難かしい ことである。

GCPの規定や日本医師会のキャンペーンもあって、インフォームド・コンセントの概念や必要性は、以前と比べて格段に広く理解 されるようになった。しかし、「これまでよりも詳しく患者に説明すれば良いのだ」といった皮相な受け取り方をする医師も多く、 現在論議されている脳死や臓器移植などと同根の難かしさを内蔵していることはあまり認識されていないようである。その理念を 正確に臨床現場に根ずかせるには、一時的な話題やキャンペーンに終らせることなく、継続して根気よく教育、啓蒙、啓発を続け ることが必要である。コントローラー委員会は創設の当初からそうした地道な努力を続けて来て、今年20周年を迎えるが、その 難しさを思うと、路は遠く遥かという思いがする。

本号には、老齢患者に対する臨床試験に関するFDAのガイドラインが掲載されている。従来とかく敬遠されて来た領域であるが、 インフォームド・コンセントとも関連して問題の難かしさを改めて感じさせられる。(K. Y.)

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