編集後記


臨床評価 1989; 17(2): 333より

外来中、突然の電話で「今日の午後、ご都合のいい時間に伺わせて下さい」という。ふだんなら突樫貧の返事で追い返す のだが、是が非もない用件だと分かっていたし、あまり症例を稼がなかった弱みもあり、つい猫なで声で返事してしまった。

臨床試験が終った後、製薬会社の担当者が、記録を回収にくるのだ。

昔は模範的な記録のつけ方をしたものだった。項目のつけ落ちなど1つもないと自慢できた。しかし今は自負だけが残っていて、 なぜか脱漏が目立つ。

外来患者が多くなったせいだろうか。どこかで有意差を出そうと記録用紙がやたらに分厚くなったせいだろうか。それとも アルツハイマーの進行のためだろうか。

「先生、この項目はどこに○をつけるんでしょうか?」いけない、この項目はつけ落ちだ。かすかな記憶の痕跡を頼りに、無理 やり患者の顔を思い出し、エイヤッと真中へんに○印をつける。薬の大権威者のプライドを傷つけまいと、開発担当者は 弱よわしげな微笑を浮かべている。「先生はお忙しいですから」

「先生、この項目は訂正しておられますが、ハンコを押して下さい」「ああ、そうそう訂正印はシャチハタでもよかったっけ」 「ええ、最近厚生省がうるさくて、ハンコが押してないと、通らないんです」なるほど「1.御記入の際は、黒のインクまたは ボールペンを御使用下さい。2.訂正箇所には、必ず署名または訂正印をお願いします。なお、全般改善度などの評価判定 にかかわる訂正については、訂正年月日、訂正理由の記載もお願いします。」と書いてある。

C社のデータ捏造事件以来、こういった事務的な煩雑さが倍加したようだ。

わが国には、ペナルティーを軽くする美しい思い遣りの風土があり、それはそれなりに評価できるけれど、事故の度毎に事務的な 制約だけが繁茂してゆき、病気にもっとも相応しい評価方法や生データへの忠実さの感覚が、窒息させられてゆくのは 耐え難い。

訂正印は、インチキされない保証のために必要だというのであるが、そのうち『訂正には実印を押して、印鑑証明を貼付すること』 が要求されはしないだろうか。ちなみにメフィストフェレスの台詞のように「紙に書いてあるものを信ずる」のが人間なのだから。

最近わが国でもGCP実施の機運が急である。この際当局には「ボールペンで訂正して印を押すこと」などという事務的な規制に 力を入れず、臨床試験の当事者への、生データの改竄を起こしにくいような真の啓蒙への努力こそ期待したい。

ちなみに本号所載のGCPについての佐藤倚男先生の総説でもわかるように、われわれ医師は、構想を発表以来4年弱になる このGCP案やその後の経過などは、かなりの努力なしでは目にする機会がなかった。(M. K.)

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