編集後記


臨床評価 1988; 16(3): 565より

最近、薬効評価における同等性検定の問題が話題になっており、本誌でもすでに何度か取り上げられた。新薬や新効能が 認可されるには、標準薬と比べて「同等もしくはそれ以上」であることが必要であるが、有意差がなければ同等とみなす傾向 があり、これは甚だしい誤りだというわけである。

これはいわれてみれば当然のことであるが、改めて指摘されて問題になっていること自体、「有意差がなければ同等」という 理解やそれに基づく処理が、これまでも現在も、通用していることを示している。

こうした誤まった解釈の影響は直接には、標準薬と比べて同等にも達していない新薬が例数操作で容易に許可されてしまう おそれがあることだが、間接的にはその波及作用あるいは継代効果とでもいうべきことが問題になる。たとえば標準薬Aに 比べてわずかに劣る新薬Bが、有意差はないから同等として認可されたとする。やがてB薬は臨床現場で広く使用されて、 新たな標準薬とみなされるようになる。このB薬を対照として次の新薬Cが比較され、これまたわずかに劣るが有意差は ないので同等として認可されたが、最初のA薬と比べれば明らかに有意に劣るということがありうる。こういう「えせ同等性」 にまつわる誤差はさらにD薬、E薬と継代的に累積されて行く可能性がある。

こうした危険を防ぐために、標準薬を一定のものに固定したり、プラセボを含む三群比較を行うなどの対策がとられてはいる。 しかし、ある種の薬効についてはどの新薬も、臨床現場で有効性が疑問視されているものがあり、その根底には「みなし同等性」 措置の問題があるのではなかろうかと思われる。

このように同等性の問題は薬効評価の根幹にもかかわるのに、そして「・・・効果が等しいということを帰無仮説として、これが棄却 できなかったからといって、標準薬と新薬の効果が同等であると結論づけられないことは、最も初歩の統計学の教科書にも 明らかなことである・・・」とした論文もあるのに、わが国の新薬審査に推計学的な方法による薬効評価が導入されてから現在 までの約20年間、この問題がほとんど取り上げられなかったのは何故なのであろうか。推計学の理論の進展を待たねばならなか ったのであろうか。統計学の初歩的な原則の履行を防げる何らかの障害があったのであろうか。それとも、行政上の配慮が 優先して妥協と現実的処理がなされたということなのであろうか。

同等性問題の展開に当っては、こうした点についてもきちんとした整理と反省をしておくことが必要ではなかろうか。(山本皓一)

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