臨床評価 1985; 13(2): 597より
本号掲載の総説でもその一端に触れられているが、最近の医学やBiotechnologyの進歩の広がりとスピードは恐ろしいばかりで ある。こうした進歩が医師や患者に計り知れぬ恩恵を与えていることは確かだが、その反面、医療と倫理の間の緊張がこれまでになく 強く、かつ急激に高まってきている。ヒトは生物の一員であるから、Biologyの原理や技術が通用することは当然であるが、医療の 場ではヒトは『人間』であるが故に、その無原則な適用は許されず、倫理の強い歯止めがかかることになる。
わが国でも厚生大臣の私的諮問機関である『生命と倫理に関する懇談会』で、種々の分野の専門家が種々の角度からこうした 問題を検討していたが、最近その報告書が公表され、テレビや新聞紙上に報道された。むろん、一致した結論が出せる問題では ないから、多様な意見が述べられていて、今後の議論のための出発点としたいといわれている。今の医療技術の進歩の速さから すれば、こうした対応はいかにものんびりし過ぎているという焦燥を感じざるを得ないが、しかし、それほどに問題の根は深く複雑で、 委員の価値観も多様であり、一致した結論など得られるはずがないともいえよう。
先端的な医療技術やくすりは、まず大学関係の医療施設で試験的に実施されることが多い。したがって、大学の医学教育関係者 がこの問題にどのような認識と見解をもっているかは、きわめて重要なポイントである。大学医局の活動が教育・研究・臨床の三本 の柱から成っていることは今も変わりないが、研究に不可欠な先進性と臨床で要請される倫理性とは、しばしばかなり激しく相克す るものである。かつての大学紛争ではこれが大きな争点の一つとなり、その厳しい対決に堪えられないからそれを忌避して大学を去 った者も少なくないが、この問題だけはその後も少しも風化することなく、ますます尖鋭化しつつあるといえる。
ただし生命と倫理の問題は何も先端技術に限らず、医療の場では常時提起されていることで、治療法の選択、未熟児、妊娠中絶、 進行癌、末期患者など、日々是決断といってよい。あまりに日常的であるため麻痺しがちであるが、問題の深刻さは先端技術と変わ りがないことを忘れてはなるまい。
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本号の編集が進められているさなかの8月30日、編集委員の一人である伊藤 斉先生が亡くなられた。先生は本誌創刊当初からの 委員で、温厚なお人柄であったが、ユーモアを混えた穏やかな言葉で実に厳しい批判をされるのが常であった。本号にも、先生が コントローラーを努められた治験の論文が1編、掲載されている。その先生の訃報に接して、暗然たる思いを禁じ得ない。享年59歳 であられた。永別の悲しみに老若の区別はないが、働き盛りの熟年であられただけに、先生の無念の想いが同感されてとりわけ痛 ましく、口惜しく思われる。ここにとりあえず先生の訃を記し、衷心から御冥福をお祈りする次第です。(山本皓一)