編集後記


臨床評価 1985; 13(1): 281より

philos 愛とsophia 知との結合としてのphilosophiaを哲学と訳したのは西周らしい。以来、われわれは哲学という語とすっかり馴れ合 ってしまったが、その分だけ原語が持っていた直截な意味あいが、その強烈な力と共に失われてしまったような気がする。

道徳上の正しさと法律上の正しさの両方の意味を併せもつrightは、西欧思想史上、むしろ力とは厳しく対立する意味のことばで あったが、これを力を意味する権とか権利と訳したのも西周のようである。今日、この権には、どこか、力づくの押しつけがましさ、 というような語感がぬぐい切れず、日常このことばを口にすると、とかく話がきゅうくつになりがち(柳父章・翻訳語成立事情)なのは 困ったことである。

さて、informed consentというアメリカ語とどうつき合うべきか。苦心の訳語はいくつもある。よく知らせたうえでの同意(故宮野晴雄)、 情報を得たうえでの承諾(団藤重光)、十分な情報を与えられたうえでの同意(新見育文)、内容を知らされた上での同意(厚生省 医務局医事課)、知らされたうえの同意(砂原茂一)、熟慮したうえでの同意(木原弘二)、了解同意(宮野彬)等々。informとは、単に 情報を与えるという意味でなしに、その事情によく通じさせるという意味だからとして、熟知承諾と訳す医師もいる(松田道雄)。 Informにそういう意味があるのかどうか不案内だが、いっそ、この語は、インフォームド・コンセントとそのままにしておいたらどうだろうか。

アメリカでinformed consentが議論されるときは、いつも、あのニュルンベルク裁判が基礎にある。ニュルンベルク原則第1条によれば、 consentは、能力ある者の(competent)、任意で(voluntary)、情報を与えられ(informed)、かつ、理解したうえでの(understanding)承諾 でなければならない。Informed consentと短く呼ばれるこの語は、この四つの重要な要素から成り立っていて、そのうちどの一つを 落しても原意は伝わらないのである。

こういう話は、翻訳の適不適の問題で済んでくれれば罪はない。しかし、もし例えば、説明を受けた上での承諾という訳語が定着してゆくと すると、説明をしさえすればいい、相手が理解するかどうか、任意に承諾するかどうかは二の次三の次などといった、要らざる誤解を 生まないとも限らない。informedの訳に必ずしも拘ることなく、もっと適切な日本語がないものだろうか。

本号総説の山本論文は、2.でこのinformed consentをめぐるタテマエとホンネを臨床現場の立場から取り上げている。なるほど、経腟分娩 対帝王切開というすでに承認されている方法間の選択の問題と、未承認薬対既承認薬ないしプラセボという臨床試験での選択の問題 とでは、必ずしも同一には論じられないだろうが、誠実に対応しようとするほど深刻なディレンマに陥らざるを得ない一例として大いに 考えさせられる。(光石忠敬)

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