編集後記


臨床評価 1984; 12(2): 585より

この号には、シンメトレル(アマンタジン)の脳血管障害への薬効、ブロモクリプチンのパーキンソン氏病への有用性、アミトリプチリン 徐放剤、並びに抗アレルギー剤でクロモグリケートに似た本邦開発のトラキサノックスに関する報告などが載っている。加えて第19回 医薬品情報協会での2日間にわたる臨床試験の国際的規制の問題の討議の模様が、内藤先生のご好意で訳して資料として載せら れている。巻頭には広津先生によって薬効検定に用いられる統計手法の問題点が解説してある。かなり読みごたえのある号に なっている。

臨床治験は今やルーチン化して、軌道にのっているように見える。コントローラー委員会に持ち込まれる依頼数もひと頃より増えて 月平均数件に達する。大枠はかたまっているが、薬によって、人によって、変わる余地のあるソフトな面が未だ無数に残っている。 加えて、アーミテイジが書いているように(Peter Armitage: Controversies and Achievements in Clinical Trials. Controlled Clinical Trials, : 67〜72, 1984.)、臨床評価になぜ統計を用いなければいけないのか、という根本のところが、臨床家と、統計学者、疫学者 など関係者との間に絶えず議論になる。危険率5%を境にするということは、別に理論的に定まるものではなく、もっと実用的な配慮から 定められていることは、ともすると忘れられがちである。

5%を有意水準の境界に取るというのは1つの約束事である。ただし、皆で5%をコンセンサスにする実態があって、それをふまえての 約束である。脱落、除外を決めるのも、同様で、1つの約束事であるが、実態があって、そこから約束事の裏付けが出て来れば、それに 超したことはない。例えば、定められた治験期間中の服薬の何割が実行されれば数に入れてよいのか、例えば服薬が必要数の半分に 満たなかったら、どう取り扱うのか。ある医師は半分しか服薬しなくても、最終判定を下し、他の医師は判定不能としたら、どうすればよいのか。 もちろん、理想的な臨床治験では、こんなことは起こらない。精度のよい理想に近い治験を行う努力をするのが第一であろうが、現実には、 いろいろな雑音が加わって、処理に頭を悩ませる。できるだけ、せっかく得られた情報が無駄にならないように、情報が捨てられて、全体が 偏らないように、というのが処理の際の根本方針であろう。具体的な処理について、どなたかこの次にでも整理して、議論して下さるとありが たい。その国際比較も必要となろう。

関連して、一回投与による薬理作用や代謝排泄などはよくわかる。連続投与(実は、これが臨床で薬が使われる場合のほとんどのパターン なのだが)のときの代謝排泄、血中濃度の変化と薬理作用との関係をどう把えたらよいのだろう。わかり切っているようでいて、何かもっと 突込んだ議論が必要なようにも思われる。(中島 章)

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