編集後記


臨床評価 1982; 10(1): 233より

調査表のうえで「同意無」なのに被験者とされた5人の患者について、ある開票会議でその理由が調査報告された。それによると、 「薬の試用を敢えて述べる必要のない患者であった」から、というのが3人、「同意をとるという行為がかえって不安を増幅し治療上 好ましくないと考えた」から、というのが2人であった。

それだけ信頼していた3人から、どうして同意を求めなかったのだろうか。この医師は私の治療をしてくれる、というのが素朴な信頼の 中味である。信頼にこたえるために信頼を裏切るまい、と考えるのがノブレス・オブリージュではないか、医師が医師としてのみならず 研究者としても振舞うなら、それ相応のデュー・プロセスを踏むべきではないか。患者が患者としてのみならず被験者としても扱われるなら、 それ相当の選択の機会が与えられてしかるべきではないか。

「治療上好ましくない」という理由で、治療をはみ出している臨床試験をやるのに同意を得ない、というロジックの方はどうか。同意を 求めることが「治療上好ましくない」という実証上の裏付けでもあるのだろうか。薬はききめのあるもの、というのっけからの思い込み がありはしないか。こんなふうに5人の患者のことを考えるうちに、同じ臨床試験で調査表上は「同意有」とされた211人の方が今度は 気になり出した。誰が、誰に対して、どんな内容の説明を、どんな方法で行い、どんな状況におかれていた、誰の、どんな挙動をもって 、「同意有」としたのだろうか。5人よりも211人の方にこそもっと根の深い問題が潜んでいるのではないか。

たまたま本号に載っている7つの臨床試験について数えてみたら、試験をした医師のべ278人、試験をされた患者1,264人であった。 278人は、共同研究者として論文の冒頭に氏名や所属病院などが明記され、学問上の名誉を担っている。さまざまな苦労はあったにせよ、 臨床医学の進歩に着実な足跡を残している。さて、1,264人の方はどうか。身を挺して医学の発展に貢献している点では、278人に 優るとも劣らないし、後に続く人々にとっては恩人であり、英雄ですらある。にもかかわらず278人とのアンバランスは覆うべくもない。 研究グループは、臨床試験に入る前に、予め、誰が、誰に対して、具体的にどんな内容の説明を、どんな方法で行い、誰の、どんな状況下 の、どんなことばや態度をもって患者の同意が有ったと確認するかについて決めておき、その結果、何名中何名から同意が得られたなど についても、論文中に独立した項目の下に記しておいたらどうだろうか。そうすることが、実際には研究者・医師と協働している被験者・ 患者に対する、せめてもの挨拶であり、そのプールとなった社会と人々に対する作法ではないだろうか。

本号には、2×2分割表の臨床試験への応用に関する椿論文、小児異常行動調査表による正常・異常間の判別についての藤田・来栖・ 佐藤論文などの力作も載っている。統計的手法は、どんどん実務に取り入れられ、二重盲検比較臨床試験はますます洗練されてゆく。 判定者の過信を慎み、独占的権威を否定するという思想がその原点にある。被験者としての患者を、単に統計の対象として利用するだけ でなく、そしてまた同病の他の患者や次の世代の人々への当然の負担ないし犠牲とみなすこともなく、丸ごと一個の人間として協力の 相手を求める、という発想の転換が、そろそろあってもいいと思うのだが・・・。(光石忠敬)

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