論 壇

臨床試験結果公表制限特約と試験者の法的責任
On a clause according to which investigators be restricted from publishing the results of clinical experimentations with drugs and on the legal responsibility of investigators
(arising from the above-mentioned clause)

光石 忠敬 (光石法律特許事務所)
Tadahiro Mitsuishi

臨床評価 1973; 1(2・3): 137-8.


1. 問題

 治験薬の製造者と試験者が臨床試験委託研究契約を結ぶ場合、臨床試験の結果得られる情報すなわち、治験薬の有する薬効、副作用などの データについて、製造者の同意なくしてこれを公表することはできない旨の特約が付け加えられることが少なくない。このような特約は、法的には 如何なる意味をもつか、言い換えれば、この特約に反して試験者が試験結果得られた情報を製造者に無断で公表した場合、試験者が何らかの 法的責任を追究されることがあるのかどうか、試験者が公務員の場合、公務員法上の守秘義務との関係はどうなるかなどがここでの問題である。

2. 試験結果を公表する行為の法的性質

 臨床試験の結果得られた情報すなわち、治験の薬効、副作用、試験方法、試験対象、解析方法などのデータは、臨床医学という学問にとって 必要不可欠であり、これが公表なくして科学的、合理的な臨床医学は存在し得ない。従って、試験者たる研究者、医師が、試験の結果得られた 情報を公表することは、憲法23条で保障された学問の自由に含まれるものと解される。蓋し、学問の自由とは、研究ないし学説の自由のみならず、 研究の結果ないし学説の発表の自由を含むと解され(通説、判例)、また学問の自由の主体は、大学など高等な学術研究機関およびその所属者に 限られないから、ここに言う学問とは、大学においてなされる学問活動に限らず、私人の資格において行うものであろうと、およそ一切の学問的 活動を含むと解される(通説、判例)からである。試験結果公表行為が学問の自由に含まれるということは、試験結果が誤りであるとか、国家、社会 にとって有害であるなどの理由で公表を制限、禁止されないことを意味する。言うまでもなく、このような場合の最終の判断は臨床医学自体によって 与えられるのであり、公権的な判断や外的な権威によるのではない。

3. 結果公表を制限する特約と憲法

 一般に、憲法が学問の自由を保障するとは公権力により学問の自由を侵害することを禁止する意であるが、私人たる製造者が、公表制限特約 によって、試験者の自由を侵害する場合、試験者に憲法上の保障が及ぶかどうかは一個の問題である。元来、私人相互の契約においては、 いわゆる私的自治ないし契約自由の原則が妥当するから、憲法上の自由の保障は私人間においては当然には妥当しない。しかし、憲法が諸々の 権利、自由を基本的人権として承認したことは、それらの権利、自由が不当に侵害されないことをもって国家の公の秩序を構成することを意味する と考えられるから、何らの合理的な理由なしに不当に権利や自由を侵害することは、いわゆる公序違反の問題(民法90条)を生ずることがあり得る と解される(間接適用説=通説)。従って、公表制限特約に何ら合理的な理由のない場合には、そのような特約は、私法上、公序違反として無効と される可能性が出てくる。

4. 結果公表を制限する特約の法的効力

 試験結果の公表制限は、治験薬の製造者に対して企業秘密の保護という利益をもたらす。これに反し、他の競争企業に対しては重複投資を 不可避ならしめる。患者をはじめ被験者たるべき不特定、多数の人々に対しては、不必要または危険な臨床試験が、重複または反復して行われる ことによりその生命、身体、自由に対する重大な侵犯をもたらす虞れがある。臨床医学医術に対してその発展を阻害すること言うまでもない。試験 結果の公表を一般的に制限することは、個人の尊重という憲法の根本原理に反するばかりでなく、合理的な企業競争保護の観点からも不当かつ 不合理であるから、我が法体系上、無効と解すべきである。尤も、治験薬の製造者に対し、企業競争上不当に不利益を与えてはならないという 限度で企業秘密を保護すべきは当然である。従って、試験結果を競争企業などの第三者に公表前に提供することを制限するいわゆる第三者情報 提供制限特約を無効とする理由はないと解される。

5. 試験結果を公表する行為の法的限界

 試験結果を公表する行為が憲法上保障された学問の自由に属し、これを制限する特約が無効とされるとは言っても、そこに何ら限界がないわけ ではない。真理の探究という学問の本質から生じる一定の内在的限界がある(言うまでもないことだが、内在的限界があるということと、公共の福祉 による制限が許されるということは同義ではない。筆者は、学問の自由について公共の福祉による制限はあり得ないと解するが、ポポロ事件などに 示された最高裁の見解は反対であった)。この意味から、試験方法、対象、解析方法などについて何ら触れずに、単に、無効、または副作用あり などという結論だけの形でなされる公表は問題がある。このような場合は公表が学術的意図でなされたかどうか、公表者の主観的な意図を問題と せざるを得ない。しかし、一般には、公表の態様が、臨床医学上客観的に相当であるかどうかをもってメルクマルとすべきであろう。尤も、 臨床医学上相当なりや否やの判断は、臨床医学自身の自律に委ねられるべきであり、たとえば、行政権、立法権その他社会的権威などが妄りに これをなすべきものではない。

6. 結果公表制限特約違反と試験者の法的責任

 公表制限特約が無効と解されるということは、かかる特約違反を理由とする如何なる私法上の請求(たとえば契約違反、不法行為に基づく損害 賠償請求など)も裁判所によって認められないことを意味する。従って、それは契約当事者間で訓示的な効果を有するに止まる。なお、公表が 5. で述べた限界を越えない限り、試験者の製造者に対する名誉毀損(刑法230条)、信用毀損、業務妨害(刑法233条)などの刑事責任が問題となる 余地のないこと論ずるまでもない。

7. 試験者が公務員の場合

 公務員には公務員法上の守秘義務が課せられている(国家公務員法100条など)ので、結果公表制限特約違反は守秘義務違反として何らかの 法的責任を問われるかどうかが問題になる。しかし、官公立の研究機関の研究者は、その者が公務員である場合でも、学問研究については 上級官庁の指揮を受けず、裁判官に類似する職務の独立が認められると解されている(通説)から、結果公表についてもそれが 5.で述べた 範囲のものである限り守秘義務違反にはならないものと解する。蓋し、国家公務員法100条にいわゆる秘密とは、国の施策に関する事項(一般に、 国に秘匿権のある情報としては、1. 軍事または外交上の情報まで、その公開が国家の安全や信用を著しく傷つける虞れがある場合(尤も軍事秘密 については憲法9条の関係で問題がある) 2. 国民生活上重大な支障や危険をもたらす情報で、それを発表すると取り返しのつかない混乱が予想 される場合 3. その発表が一部の特権的なグループまたは個人に排他的な利益を与え、国民全般に損失をもたらす場合 4. その発表が国民の 基本的人権を侵害する虞れがある場合が考えられる)で、刑罰によりその非公開性を保護すべき実質的秘密をいい、単に官庁において秘扱い されたというだけでは足りないと解されているが(判例は必ずしも明らかではない)、臨床試験の結果得られた情報は、国家公務員法が刑罰を もって保護しようとする秘密の範囲外と解され、また、その公表が 5. で述べた限界に止まる限り、同法100条の予想する秘密侵害の態様とは異なる と解されるからである。従って、当該公務員に対し守秘義務違反による刑事責任(国家公務員法109条12号、同法111条など)はこれを問い得ない。

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